では何が重要かといえば、「ゲームの文脈とそれに対する理解」である。
失敗の代表例として語られる『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』
ゲームの文脈を読み違えて失敗した作品として有名なのが、2019年に公開された映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』である。
本作は著名なRPG『ドラゴンクエストV』を題材にした作品で、『ALWAYS 三丁目の夕日』や『STAND BY ME ドラえもん』で知られる山崎貴氏が総監督・脚本を務めている。
本作は終盤までは『ドラゴンクエストV』を3Dアニメーションで映像化した作品としてそれなりに評価されているのだが、オチに大きな問題がある。
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は最後の最後に、「今まで体験していたものはゲームで、それはしょせん虚構である」と突きつけてくるのだ。とはいえ、「それも大切な思い出だよね」と、ゲーマー(ゲーム愛好家)を持ち上げて終わるのである。
話の流れとしてはゲーマー讃歌といえる内容なのだが、しかしこれはゲーム好きの逆鱗に触れる内容であった。そもそもの話、「ゲームが虚構で無駄である」なんて議論は過去のものであり、あまりにも時代遅れなのだ。
駄作の烙印を押されてしまう原因
いまやプロゲーマーやゲーム実況系ストリーマーが憧れの存在になる時代であり、そもそもゲームは日本が誇る重要な産業のひとつでもある。たとえば小説やドラマを楽しんでいる人に「それはしょせんフィクションだよね、フィクションだけど素晴らしいよね」と言ったら、「藪から棒に何を言っているのだ」と思われるだけだろう。
結局のところ、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はゲームがまだ見下されるものだと考えたうえで、それを上から目線で褒めようとした。しかし、その褒め言葉はゲーマーからすると侮辱にすら思えたのである。
このように、ただゲームに関して言及するだけでは取り返しのつかない大きな間違いを犯してしまうのである。ゲームの文化や文脈をきちんと理解したうえで映像化しなければ、駄作の烙印を押されてしまうのだ。