1ページ目から読む
6/6ページ目

 加害熊の目当ては、実は彼だったのではないか。1年前に明地少年を襲ったことから、その味を求めていた加害熊は、武夫を襲う目的で出現した。しかし逃げ遅れたシャウを手近な獲物として襲った。そして女性の味を知り、その嗜好は男児から女性に変化した。これ以降、加害熊の捕食原理は女性が最上位となり、次に男児という序列ができたのではないか。

幹雄少年が食害されなかった理由

 本件の加害熊が「人間の女」に異常なまでの執着を持っていたことは『羆嵐』でも語られているが、木村によれば次のような事実が確認されたという。

「また不思議なことに、どの農家も婦人用まくらのほとんどがずたずたに破られ、特に数馬宅では妻女アサノ専用の石湯タンポ(中略)を外まで引出し、つつみ布をズタズタにかみ切り、三キログラム余りの石をかみくだいてあった。(中略)ヒグマは最初に食害したものを好んで食おうとし、これを襲撃することが多く、この事件でも婦女をはじめ、婦女が使用した身の回り品にまで被害が及んでいる」――前掲『エゾヒグマ百科』

 些末な例で恐縮ではあるが、動物のオスが「人間の女」を好むことは、筆者のネコを飼った経験からも明らかである。

ADVERTISEMENT

 筆者の愛猫はオスであったが、彼は明らかに女性に抱かれることを好んだ。酒宴の席などに顔を出すと、媚びるような鳴き声でシナを作り、女性にすり寄る。そしてその懐に抱かれると、満足そうに毛繕いを始めるのである。そうして彼は、筆者よりもはるかに長い時間を、その甘美な腕の中に抱かれて過ごすことに成功していた(ここで「ペットは飼い主に似る」等の俗説を持ち出してはならない)。

 それはともかくとして、このことは事件の冒頭、太田家の惨劇で、幹雄少年が食害されなかった理由を考える参考にもなろう。加害熊は家屋をのぞき込み、そこに幹雄少年を認め、捕食目的で押し入った。そして少年を一撃し、いざ喰おうとした時、物音に顔を出したマユを認めた。そしてそこに「人間の女の匂い」を感じ取り、対象を変えたのである。

なぜ女児を襲わなかったのか

 加害熊の捕食原理の変化は、明景家での惨劇で一層明確になる。

 右記リストのように加害熊は男児3人を先に倒しているが、真っ先に喰い始めるのは斉藤タケである。そしてタケを食い尽くした後に、ようやく男児を喰い始める。そして飽食すると、莚や布団などを掛けて覆い隠している。これはヒグマがエサを隠す典型的な習性である。木村によれば、遺体はタケを中心に春義と金蔵が頭を並べていた。つまり加害熊はこの3名を「エサ」と見なしたのである。もう1人の犠牲者、巌は加害熊が飽食したためか、主な食害対象とはならなかったが、残念ながら救出後に失血死してしまった。

 最後に注目されるのが、襲われた明景宅で唯一の女児であったヒサノ(6)である。彼女は恐ろしさのあまり放心状態にあったとか、事件に気づかずに熟睡していたなどとされている。しかしヒグマの敏感な嗅覚からすれば、そこに女児がいたことは認識していたはずである。にもかかわらず襲わなかったのはなぜだろう。それは彼女が女児だったために、成熟した女性が発する匂いを感じなかったからではないだろうか。