加害熊が現行犯で射殺されている点から、同一個体とは考えにくい
「二十四日午前六時頃、空知郡南富良野村(中略)牧場番人、三宮忠四郎内縁の妻千田八重(五二)は、番舎の前にある厩舎に異様の物音がしたので(中略)行ってみると、(中略)反対の側の扉を蹴破って侵入し、中に縛ってあった馬を屠り、得意になって骨をしゃぶっていた巨熊が猛然と跳ね出で、一撃の下に老婆を斃した。しかして悠然とその胸から頭、次いで腹部に大きな穴をあけ、肺や心臓を始め子宮膀胱に到るまで喰い尽くし、わずかに腎臓と肝臓とを残していた。手も足もそのままであったが、あくまで乱暴な巨熊は老婆を馬の屍体の上に重ね、さらに馬糞、藁などを山のごとくに盛りかけ、あたかも珍味佳肴の宴に酔うたかのようにこの側に座っていたところへ、前日からこの熊を退治しようと思って追跡していた老婆の夫三宮忠四郎が立ち帰ってこの惨状を見て驚き、怨み骨髄に徹し、満身の勇を鼓して巨熊の眉間目がけて一発を放ち見事銃殺した(後略)」――『北海タイムス』大正4年11月30日
まさに三毛別事件を彷彿させる残虐事件であるが、加害熊が現行犯で射殺されていることや、三毛別事件のわずか10日前に発生していることから、同一個体とは考えにくい(南富良野から苫前まで直線距離で130キロある)。
同一個体による凶行の可能性がある事件を発見
最後に雨竜郡から来たアイヌの夫婦による、「このヒグマは数日前に雨竜で女を食害した獣だ」という証言である。
これについては、明確な事件を拾うことができた。
「雨竜郡深川村大鳳(中略)谷崎シャウ(四十二)は、二十五日午後三時、家族三人にて自宅をさる約百間の畑地に作業中、(中略)一頭の熊が駆け来るを認め、一同避難せんとするや、突然後方の藪の中より現れ、シャウに飛びかかり後頭部を掻き、その胸に咬みつき肉をえぐりたるに、他の両人はこれに抵抗、実子武夫(十八)は右手を咬まれ、なお両足に軽傷を負った。熊はそのまま逃走、シャウは絶命した」――『小樽新聞』大正4年10月1日
発生日時は三毛別事件の2ヵ月以上前であり、雨竜から苫前までは40キロ程度である。事件を起こした後、地元猟師に追撃され、天塩山中を北へ逃れたとすれば、同一個体による凶行の可能性は十分にある。
また同事件に関して『雨竜町史』に興味深い回顧録を見つけた。