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能天気にパンツ一丁で野球帽を被って…8年間テレビに出られなかったオードリー、春日と若林の間の“大きなズレ”

ドラマ『だが、情熱はある』

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 若林は原作としてあげられているもうひとつのエッセイ『ナナメの夕暮れ』の中の「まえけんさん」と題した1本でその一言を振り返り「ぼくは何かを見抜かれた気がして、この人には嘘は通用しないなと悟った」と綴っている。

「仕事がない時、まえけんさんにはよく愚痴を聞いてもらった。聞いても何の得にもならない若手の実力不足の言い訳をずっと聞いてくれていた。でも、まえけんさんは簡単に味方をしてくれるような人ではなかった。だから、叱られたことも多かった。当時のぼくには己の未熟さを笑える強さは無く、こともあろうに先のまえけんさんに向かって言い返したりしていた。『でも』と言って話し始めるぼくにまえけんさんは、『「でも」と言うな』と何度も注意した。飲み込みにくい意見も一度咀嚼して飲み込んでみろと。それから反論しろとよく怒られた」(※2『ナナメの夕暮れ』)

 そして、前田は「幸せになったもん勝ちよ」とよく言っていたという。

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学生時代のオードリーと「春日チャレンジ」

 オードリーは8年もの間、ネタでテレビに出ることができなかった。それはかなり絶望的状況だ。当時、売れていない芸人でも一度くらいはチャンスをもらえたからだ。オードリーにはそれすらなかった。

 彼らはなんとかして「売れたい」と試行錯誤を繰り返しながらも当時は「売れるってことが、リアルに想像できなかった」。若林がダリのようなヒゲを生やし、世の中のことを鋭利な角度からツッコんでいく時事漫才をしたり、春日が髪を逆立てて竹ぼうきのようになったりもした。地味だと言われた若林が金髪になったり、春日が緑色に毛を染めモヒカンにして目の下に星を描いたパンクキャラになってあらわれたこともあった。だが、「パンクな部分が一個もなかった」とたった1日でやめた。

「俺らにしかできないことを」と考え、アメフトの防具をつけて舞台でぶつかりあったこともあった。もちろん客は引くばかりで笑ってくれない。「誰もやったことがないことをやるのは簡単だ。だって、誰もやったことがないことをやればいいんだから。でも、誰もやったことがなくて、笑いも起こるというネタを作ることはとても難しいことだ」(※2)ということを実感した。

 自分たちが憧れた破天荒で自由な理想の芸人像と現実の自分たちの絶望的なズレが若林を苦しめた。

「なんでみんなと違う速度で、みんなよりこんな燃費悪いんだろうって自分のボンネット開けてずっと見てる。なにがみんなと違うからこんなに学校についていけないんだろう」(※3)と他人とのズレに苦しんでいた学生時代に出会ったのが春日だった。

 高校時代は、仲間内で春日に「校舎の2階から飛び降りる」だとか「一日誰とも口をきかない」といった無茶ぶりをする、いわゆる“春日チャレンジ”に興じていた。

「達成したい。無理じゃないんですよ。いわゆるチャレンジもの。若林が一番そそる提案してきましたね」という春日は「楽しかったですね。スベることがないですから」と振り返る(※4)。

 芸人として売れない日々を過ごしていた時、「高校の時のような自分たちが手放しで面白いと思えることがまだやれてない」と思った春日。同じように若林も「元々高校の時に『春日って面白い』って思ってたものを100%でぶつけてやめようって思ってたんですね」と回想しこう続けた。

「伝わらなくてもいいから自分たちが高校の時に面白いと思ってたことを形にして1回でもテレビ出れたらやめようって思ってましたね。そのビデオテープとかDVDに焼いたものを大事に持って働こうと思ってました」(※4)

 学生時代に面白いと思っていたものが、「芸人」になった瞬間、「漫才」などの“形”に囚われて表現できなくなってしまうのはオードリーに限った話ではない。そのズレを解消し、その人固有の面白さを引き出すスタイルを見つけることは簡単なことではない。