バブルで地価が高騰していることもあって、地権者はなかなかウンと言ってくれない。本来は強制収用で決着するところが、成田(空港)闘争の影響で千葉県の収用委員会が動かなかったんです。土地の高騰で建設費の約3割が土地代です。とんでもない比率で、その結果、鉄道運賃が高くなってしまいました。
在来線跡地に新幹線のプラットホームを検討したが…
――次のミッションが北海道新幹線ですね。
吉川 1994年ごろに、整備新幹線の新規着工区間が論議され、九州新幹線長崎ルートと北海道新幹線が候補となりました。私は路線の具体的な調査を行い、駅位置を含めたルートの公表を行うため、1995年に札幌工事事務所へ赴任しました。
北海道新幹線の道内の駅は、駅間距離や街の規模から、概ね木古内、函館、八雲、長万部、倶知安、小樽、札幌とされていました。地形、地質、環境条件等から、最適なルートを求め、在来線の駅に併設できるように考えるのですが、諸条件から併設できないところなどがあり、地元の皆さんの要望に応えることが出来ない部分がどうしても出てきてしまい、申し訳なく思っていました。
まず札幌駅をどこにするか。これはJRタワーを建てようって時期です。在来線が高架駅になった跡地に新幹線のプラットホームを作りたい。当時の坂本眞一社長(後に会長、相談役。2014年自死)に、「タワーをちょっとずらしてくれ」とお願いをしたのですが、「いつ来るか分からない新幹線のために貴重な用地を空けておくことはできない」と言われて困り果てました。
当時の小樽市が現駅を選択
――将来、新幹線が来るならここに駅を、という場所ですけど、当時は北海道に新幹線が来るなんて誰も思ってなかったそうですね。
吉川 当時の北海道知事の堀達也さんは、新幹線の実現に向けた活動を積極的にされており、「JRと公団の両者で話し合いをして、良い案を持ってきてくれ」と言われました。在来線の1番線2番線のプラットホームを改良して新幹線を入れたいと坂本さんに提案し、JRはダイヤを維持できるか検討すると。お互いに半年くらい検討して「できる」と。駅についてはあれが最後に決着したんです。それに比べると小樽は早く決まりました。
――小樽は海と山に挟まれていて、平地はすべて市街地ですね。
吉川 地形的にも現駅は無理だから、土地を確保できるところはトンネルとトンネルの間にある2つの沢、天神か朝里のどちらかでした。朝里は倶知安方面に抜ける国道沿いで便利もいいという提案もありました。しかし天神のほうが市街地に近い。公団としてはどちらでも可能ということで、当時の小樽市が現駅を選んだと。