怒涛のハードスケジュール
——忙しい日だと、どういうスケジュールで働かれていたんですか?
八木 一番ヤバいのは、土日でしたね。土曜深夜に、田中さんが『S☆1』(TBSテレビ)の生放送に出演。日曜は、朝から『サンデージャポン』(TBSテレビ)と『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)、そして深夜にまた『S☆1』という流れで。
『サンジャポ』は家を出る2時間前に、マネージャーが太田さんにモーニングコールをかけるんです。万が一太田さんのマネージャーが寝過ごしていたらいけないので、念のため僕も電話をするんですよ。そうすると、5時には電話をかけることになるので、早朝に起きていないといけない。土曜夜から日曜夜までほとんどぶっ続けで、パンパンでしたね。
——新人マネージャーが爆笑問題さんのような大物を担当されることを意外に感じたんですが、一般的なのでしょうか?
八木 業界的に、新人マネージャーが大物に付くパターンは多いと思います。大量の案件をさばく力がつくし、テレビ局とのパイプも自然とできていく。勉強しながら仕事ができるからでしょうか。
爆笑問題・田中のマネージャーを外れてからの“変化”
——映像をやりたい気持ちとのジレンマがあったとのことですが、「マネージャー頑張ろう」とエンジンがかかったのはいつくらいでしたか?
八木 正直に言うと、田中さんの担当を外れてからですね。入社して4年ほど経った頃です。田中さんを担当していたときは毎日忙しいし、やらなきゃいけないことがたくさんある。目の前にある仕事に追われていっぱいいっぱいでした。ただ、爆笑さんを外れて若手に付いたら、自分が動かないと仕事が生まれない、つまり、芸人たちが食べていけないわけです。そんな状況に直面したとき、「やらなきゃ」と初めてエンジンがかかったと思いますね。
——担当が変わって、忙しさという面では余裕ができたわけですよね。「暇を謳歌しよう」みたいな考えは生まれませんでしたか?
八木 むしろ、忙しくないことへの罪悪感というか、不安な気持ちがありました。そこで、「なんとかしなきゃ」と若手の営業を始めたんです。「仕事をいただくために動く」という、本来のマネージャー業をやっとやり始めた感じですね。