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高橋幸宏はなぜビジュアルを大切にしたのか

 オリジナルのレコードはジャケットが見開きになっていて、そこには南国をイメージしたメンバーの写真が収められている。サンバのダンサーのような衣装を着た加藤とミカ、それにアロハシャツ姿の高橋らメンバーたちだ。そして彼らの手前にサングラスをした犬が横たわっている。

〈この写真は奥村(靫正)君の家で撮ったの〉と、撮影がアメリカ村に居住したWORKSHOP MU!!の奥村の家で行われたことを加藤が話している。〈一緒に写ってるのは奥村君の犬。どかないんだもん。どかないから入れちゃおうってサングラスかけて〉(*10)

『サディスティック・ミカ・バンド』に姿を残す犬は、細野の家のドアに体当たりし、彼の安眠を脅かしたあの奥村の飼い犬だったのだ。

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 ミカ・バンドでの活動を通じ、高橋は自身のスタイルを確立した。バンドの中心人物だった加藤は、〈音楽は音だけのものじゃない〉〈ファッションとかそういうことも音楽の一部である〉(*10)と考え、ビジュアルを大事にした。高橋も同じようにファッションへのこだわりを見せ、1975年に行ったミカ・バンドの全英ツアーでは自身がデザインするチャイニーズ風の衣装と、イヴ・サンローランの白いキャンバス靴を身につけてドラムを叩いた。

©文藝春秋

〈極端な話をすると、僕はドラムを叩くアイデンティティって“格好”まで含んでたからね――「この靴でドラム叩いてるのは世界中で僕だけ」とかさ。(略)それはさすがにトノバン(加藤和彦)にも言われた、「幸宏、観客から見えないけどいいの?」って(笑)〉(*11)

 また、日本のミュージシャンが海外で活動する際の心構えもこのときに学んだ。

〈ミカ・バンドでのこのイギリス・ツアーは、そのあとの、YMOの海外ツアーにどれほど役に立ったかしれません。この経験を持っていけば絶対に大丈夫、と思っていましたから〉(*7)

 そしてなにより、強烈な個性がぶつかり合うバンドにおいて何をすべきかをつかんだ。その後のYMO時代の高橋を加藤はこのように評している。

©文藝春秋 撮影/榎本麻美

加藤和彦が見た高橋幸宏の“バランス感覚”

〈僕流の分析でいくと、幸宏が完全にミカ・バンドの方法論を入れている。細野さんの持っている音楽性と教授のアカデミズムが、うまいことミスマッチしている。(略)幸宏はプロデューサーなのよ、ある種の〉(*10)

 メンバーの個性を認め、それを最大限に生かし、新しい音を作る。そのために高橋は天性のバランス感覚を発揮した。