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 坂本もこのときのことを語っている。

〈スタジオでは大瀧さんから、あれこれいろんな指示を出されて、ここはミーターズのリズム、そこはドクター・ジョンっぽく弾いてとか、こういう感じのストリングスをソリーナ(弦楽器音を出すキーボード)で入れて、この音を聞き取って譜面にしてとか便利屋状態(笑)。でもコラージュ的な大瀧さんの音楽の作り方はおもしろかったな〉(*21)

〈大瀧さんの福生のスタジオでのこの一連のレコーディングで、初めて細野晴臣さんと会いました。いつも言っていますが、てっきりドビュッシーやストラビンスキーを学んで、はっぴいえんどや小坂忠さんの『ほうろう』などでの洗練された音楽を作っているのだとばかり思っていたのに、実際はそうじゃなくてびっくりしました〉(*21)

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 坂本が高橋幸宏と出会うのはさらに翌年のことだ。山下と出会ってから、彼のレコーディングやライブに参加するようになった坂本は、日比谷野外音楽堂で行われたあるイベントに参加した際、出演者のひとりだった高橋を山下から紹介される。このとき裾の切れたジーンズにゴム草履姿だった坂本が、ケンゾーのジャンプ・スーツを着て、スカーフを巻いていた高橋のファッションに衝撃を受けたという話は有名だ。

©文藝春秋 撮影/榎本麻美

 年齢の近い高橋とはすぐに仲よくなり、親交を深めた。坂本は言う。

〈で、話すとさ、見かけに寄らずわかってるじゃないみたいな(笑)。(略)それに、趣味として音楽をやってるということに、新鮮な驚きがあったわけ。当時だと、ロックは命をかけてやってるところがあるでしょ。現代音楽でも、思想的とか哲学的にっていう。だから、趣味とかファッションで音楽をやってることに驚きがあった。それは決して悪い意味じゃなくて、生き方として、着る物から家から音楽から一貫してるんですよね。[趣味人]という言葉があるけど、これは本当の一級の趣味人だと〉(*1)

 こうしてYMOの3人はそれぞれの出会いを果たし、翌1978年2月19日のYMO結成へと至る。

 シンセサイザーを使用した新たなバンドの構想を坂本と高橋が細野から聞いたのは、そのころ細野が住んでいた白金台の家、つまり“ホソノ・ハウス”だった。

 それから長い月日が流れた。

©文藝春秋

3人が最後に“共演”した2018年10月の『イエローマジックショー2』収録

 3人が最後に“共演”したのは、2019年12月に東京国際フォーラムで開催された細野の音楽活動50周年記念イベント「イエローマジックショー3」でのことだったが、このとき坂本は海外にいたため、事前収録の映像でモニター越しに会場の細野や高橋と演奏するという手法が取られた。