3人が実際に顔を合わせて最後に演奏したのは、2019年1月にNHKで放送された『細野晴臣イエローマジックショー2』においてだ。
収録は2018年10月10日にNHK101スタジオで行われ、僕はその現場に偶然居合わせることができた。
3人はラクダのシャツにどてらを着込み、白髪のズラやもみあげを着けてスタジオに現れた。どてら姿の老人に扮して演奏を行なうのは、2001年1月に放送された『細野晴臣イエローマジックショー』以来、約18年ぶりとなる。この姿の3人は“どてらYMO”と呼ばれ、ファンのあいだではなかば伝説化していた。
ニューヨークの坂本の家を訪ねるという設定のもと、3人はそこで2曲の演奏をした。まずは学生服姿の星野源をマリンバに加えた「ファイアークラッカー」。これはワンテイクでオーケーが出た。
続いて3人で「ライディーン」を演奏したが、オーケーが出るまでに2度やり直した。3テイク目の演奏を終えると、細野と坂本は顔を見合わせ、「まあ、いっか」と照れくさそうに言った。共演者から「よかった!」と声をかけられた細野は、「素人にはわからないんだ」とひとりごとのようにつぶやいた。
収録はトラブルもなく、着々と進んだ。これが3人の最後の共演になるとは、現場に立ち会った人たちは誰ひとり想像しなかったはずだ。それくらい現場の雰囲気は穏やかだったし、3人が顔を揃えることが自然に感じられた。
数ヵ月後、僕は坂本と高橋にそれぞれ話を聞く機会を得た。細野が音楽活動50周年を迎えるタイミングで刊行する『細野晴臣と彼らの時代』のための取材だ(実際には刊行は1年近く遅れてしまったのだが)。
細野とのかかわりについて高橋は言った。
高橋幸宏が見た細野晴臣と坂本龍一の人柄
〈16歳の時に細野さんと初めて会って、「この人はどういう人なんだろうな」とまず興味を持ちました。僕が大学生になって、細野さんがはっぴいえんどからソロになったあとの『HOSONO HOUSE』『トロピカル・ダンディー』や『泰安洋行』は、よく聴きましたね。僕は日本の音楽をあまり聴くほうじゃないんだけど、細野さんの音楽はずっと大好きでした。その後、一緒にバンドをやるようになって……最近つくづく思うのは、僕は最初から細野さんのファンだったんだということです。YMOであれ、SKETCH SHOWであれ、一緒にやっていても僕はあの人のファンだった。ただそれだけなんですよね〉(*22)