2017年ミス・ユニバースでBest National Costume Awardを受賞し、現在はモデル、タレントとして活躍する阿部桃子(29)。
「事件です!」の決め台詞で知られるテレビリポーターの阿部祐二(64)を父に、プロゴルファーの阿部まさ子(62)を母に持つ彼女に、ゴルフと水泳漬けでストイックすぎた少女時代、コーチと生徒でもあった母との関係、父の過保護ぶりなどについて、話を聞いた。
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家族の、誰も就職活動をしたことがない
ーーどういったきっかけで、自分の家がサラリーマンの家庭と違うと意識しましたか。
阿部桃子(以下、阿部) どちらかというと、そういったことをあまり強く意識せずに育ってきたんです。強く意識したのは大学生になってからですね。みんなが就職活動に打ち込んでいても、私はなんだかピンとこなかったんです。私の家って誰も就職していないし、就職活動もしたこともないので。それで「ああ、うちって違うんだな」といったことを意識しましたね。
あと、父がリポーターだったので、旅行などのために決まった日程を空けることができなかったんですよね。たとえば年末年始に家族で旅行をしても、途中で父だけ帰ってしまう。なにか事件が起きたら、どこにいようとも私たちを置いてきぼりにして帰らないといけないので。
そういったことで「父は変わった仕事をしているのかな」とは、なんとなく感じていくようになりました。
ーー何歳ぐらいで「父は変わった仕事をしているのかな」と感じたのでしょう。
阿部 芸能人だということは、小さい頃から認識していたと思います。テレビに父が映っているのを「不思議だな」と思っていましたね。父は夜遅くに帰ってきて、朝早くには出てしまうので、接する機会が少なくて。だから、テレビで姿を見るほうが多かったです。テレビを見て「今日もお父さん、いるな」と思っていました。
ーーお母様はゴルファーですが、いくつぐらいから「まわりのお母さんと違う」と感じました?
阿部 6歳ぐらいで母についていってゴルフの練習場に通うようになったので、そのあたりで「母はプロゴルファーなんだ」と。家にもクラブがいっぱいあったので。
ーーお母様は、桃子さんが生まれてからはトーナメントなどから遠ざかっていたのでしょうか。
阿部 私が生まれて1年ぐらいはツアーに出てたようですけど、子供がかわいい時期に一緒にいられないのは辛いところがあったそうで、その後、教える側に回ったという。6歳から母と練習場に行っていたのも、母がスクールをやっていて、私もそのスクールの生徒だったからなんですよね。