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大学生の頃は門限が23時「乾杯したらすぐ帰ってた」

ーーゴルフも勉強も全力だったと。思春期を過ごすには、ハードな環境といいますか。

阿部 キツかったです。学校の子たちから「土日にどこか行こうよ」と誘われても断っちゃうから、小中高と友達がひとりもいない状態に近かったですね。いま、友達として深く付き合いがあるのは、幼なじみと大学で出会った子の、数名くらい。

 なんだか話していて「ハードだったんだな」とは思いますね。よくやっていましたね、私(笑)。

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 でも、そういうものだと捉えていました。たまに友達とワチャワチャして、母から「楽しかった?」と聞かれて「たしかに、そんなに充実感はなかったかな」とは思っていましたね。遊ぶのも大事だったろうけど、当時は一生懸命スポーツをやっていたほうが充実感を得られていたんでしょうね。

ーー門限も厳しかったそうですね。

阿部 とくに父が心配性で、いまでも0時を過ぎて家に帰らないと、けっこう言われます。実家に住んでいるんですけど、出掛けるときは、どこへ誰と行くのかとか、帰宅の予定時間をちゃんと伝えています。

 大学生の頃は、門限が23時でした。家が千葉だから、都内でみんなと飲んでいても21時か22時には店を出ないといけない。「乾杯」をしたら21時ですぐ「じゃあ帰るね」ってことが、しょっちゅうでしたね。

ーーそれもまたハードですね。

阿部 ハードでした。さすがに大学生になると、それはイヤでした(笑)。もうちょっと、みんなでご飯を食べたり、お酒を飲んだりしたかったなって、いまでも思いますね。

ーーお父様の過保護ぶりは、相当なものですか。

阿部 そうですね。私が0歳か1歳のときに、母がお風呂に入っているあいだ、父が私を見ていると、私がコホンと軽く咳をしたので、焦って母に「出てこい!」と言ったらしいです。

 

 中学、高校になると、誰かとお付き合いしたり、好きな人ができたりするじゃないですか。学校の子たちから「そういった恋愛の話は、お母さんとだけする。お父さんには、そんなこと話せない」って聞かされて、「うちではあり得ない」って思って。

 うちは母に話したらすぐに父に伝わるし、すぐに「どんな人なんだ?」ってなるので。母も父も知っていて当たり前という。そういう面でも「うちはちょっと変わってるんだな」って。

ーーお父様は「どんな人なんだ?」と聞いたうえで反対するのですか?

阿部 「うーん……」みたいな反応でしたね(笑)。