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「家でも母のことは『先生』と呼んでた」母はプロゴルファー、父は早稲田卒のリポーター・阿部祐二…娘が語る、ハードすぎた“文武両道”教育

阿部桃子さんインタビュー #1

2023/06/03

genre : エンタメ, 芸能

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 それで水泳をやめて、母と一緒に習い事のようにやってきたゴルフを真剣にやってみようと決心したんです。そうなってくると、母がコーチなのって「ありがたいな」って。なにかあったらすぐに訊ねられるし、指導してもらえるので有利じゃないですか。そこも含めて、ずっとゴルフを続けようという気持ちになりましたね。

車中でご飯を食べるハードスケジュールな毎日

ーーそもそも、水泳とゴルフの両立も大変だったのではないでしょうか。

阿部 両方やっていたときは、週2回は部活で水泳をやったあと、髪を濡らしたままゴルフの練習に行ったりしてました。毎日、家に帰るのが23時とか0時とかで。さらに宿題もやらないといけないから、学校に行っても眠くて眠くて。ノートを取っていてもミミズが這ったような字になっちゃって、後から友達に見せてもらってました。

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ーーその生活は、小学生からですか。

阿部 中学生から、そんな毎日になりました。母の運転する車で移動して、車の中でご飯を食べてという日々でしたね。

 水泳をやめてゴルフに絞ってからは、1時間かけて学校から家まで帰って、17時くらいから2時間ほど練習して、車でジムに向かって、その車中でご飯を食べて、20時から筋トレ。22時あたりに筋トレを終えて、家に帰って宿題して寝るという生活で。

 

ーーもはやプロじゃないですか。

阿部 スポーツ優先の学校ではなかったので、学校の勉強もすごい大変で。毎日が忙しすぎちゃって、友達と遊ぶ時間もなかったです。

 漫画を読んだこともなくて、いまだに読み方がわからないんですよ。コマとかが斜めになっていると、「次に読むコマって、こっち?」とか人に聞いたりしちゃって。

ーーお母様は勉強に関しても厳しかったのですか。

阿部 勉強は、父のほうが厳しかったかな。家庭教師をやっていたこともあって熱心で、解けなかった問題があったら夜中に帰ってきた父に聞いていたりしました。

 でも、母にも「勉強をおろそかにしてはいけない」といった気持ちはあったと思います。母はゴルフだけで生きてきちゃった人間で、高校までしか行ってないのもあって、「娘には大学に行かせたい。学業もしっかりやらせないと、ゴルフがダメになったときにつぶしがきかない」と考えていたんですよね。

 両親がそういった考えだったので、中学受験のために勉強していた頃は、日能研と、日能研のクラス分けで下に落ちないための塾のふたつに通っていたりもしていました。

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