しずかちゃんは、なぜいつも「のび太を応援する役回り」なのか? 彼女に見た、日本のジェンダーバイアスの現状を、ハーバード大学准教授で小児精神科医・脳神経科学者の内田舞さんが解説。

 内田さん初の単著『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』より一部抜粋してお届けする。(全3回の2回目/#1#3を読む)

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「しずかちゃん」に気づかされた日本の女性観

 私が渡米を真剣に考えるきっかけになったのは、大学に入学してから見えてきた日本での女性の地位に絶望したことでした。日本女性を取り巻く現象として私がよく例に出すのは、理想の日本人女性像として描かれている『ドラえもん』の「しずかちゃん」です。

しずかちゃんは優秀で、美しく、優しく、能力があるけれど… ©getty

 しずかちゃんは優秀で、美しく、優しく、能力がある。しかし、のび太やジャイアンと同じグループにいながらリーダーシップを取ることはなかなかなく、彼女の役回りと言えばいつも「のび太さん、頑張って」とのび太を応援するばかり。入浴をのぞかれて恥じらったり、怖がってのび太の後ろに隠れたり、果てはのび太の妻になるという常に一歩下がった存在にとどまる描き方の裏側には、能力がありながら、それを発揮しないのが女性の美徳として賞賛される日本の文化があると感じ、違和感を覚えました。

 しずかちゃんが色んな選択肢を吟味した結果、自分はこういう人になりたいと望んで、そのような人になるのは素晴らしいことだと思いますし、そのような女性の選択があることも全く悪いことだと思いません。

 しかし、日本においては画一的な理想像が押し付けられてしまっているところがあって、なかなか他の選択肢が見えてこないと感じました。フェミニズムというのは女性の選択を尊重するムーブメントですが、その女性の選択の種類と範囲が日本では少なすぎ、狭すぎると感じたのです。

 専業主婦になる選択もフェミニズムの一環で、尊重されるべき選択です。しかし、その裏側に女性が結婚後や出産後に働くのを諦めざるを得ない社会的な構造があるのなら、それはそのような状況下での個人の選択とは別に、社会の課題としてとらえなければなりません。また、専業主婦でなければ「キャリアウーマン」、という二つの対立する女性観にも違和感を持ちました。

 私の両親は幸い古典的なジェンダーの役割分業からは離れており、毎朝、分子生物学者の父が私の朝ごはんや学校に持っていくお弁当を作ってくれましたし、母は医師として活躍しながら、料理も手芸もうまく、おしゃれで、それと同時に進歩的な思考を行動に表していました。しかし、友人が遊びに来た時に「舞のママってお医者さんだからキャリアウーマンなんだと思ってたら、料理うまいし、マスカラをうまく塗る方法について質問してたし、可愛くてびっくりした」と言われたのをよく覚えています。