コロナ禍における妊婦としてのワクチン啓発活動で知られるようになったハーバード大学准教授で小児精神科医・脳神経科学者の内田舞さんが、初の単著となる『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』を上梓した。
発売から1か月、同級生の中田敦彦さんとの対談(「沈黙は共犯」)が話題になり、インパクトある表紙でも注目を集めている。タイトルの「ソーシャルジャスティス」にはどんな意味が込められているのか。本書執筆への思いを訊いた。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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ワクチン啓発活動を通じて思い出した「日本の違和感」
「ソーシャルジャスティスは、日本語に訳せば“社会的正義”ですが、何も“正義”と言ったときに想起されるような、デモに行くとか不正を正すといった大それたことだけではなくて、言ってみれば社会の変化を夢見て、自分の思いに正直になることや、そんな変化のために働きかける日々の実践やコミュニケーションのことだと思うんです。日本にいた大学時代の頃には日本社会に根付いたジェンダー観などに違和感を覚えて、言語化されないモヤモヤや、言語化してみてもそれを共有することの難しさを感じていました。
今回、ワクチン啓発活動を通じて14年ぶりに日本社会と深く関わる中で、妊婦や母親に向けられる偏見を実体験して、忘れていた違和感が呼び起こされました。そして、これは言葉にしなければという思いに駆られたんです。
もちろんアメリカでも男女不平等はあるし、人種差別もある。特にトランプアメリカからパンデミックの数年間は激動の分断の時代でした。でもその中で言語化された問題も多く、意見交換も進み、私の普段の生活の中でフェミニズム的な観点でも苦しむことが今まで以上に少なくなりましたし、また多くの人が自分の意見を声にできる土壌もさらに育成されたことを感じます。そんな時代を母親として生きられたからこそ、今なら正面から向き合えると思ったし、これまで考えてきたことを言葉にできる機会が持てて嬉しく思っています」
ワクチン啓発活動に踏み出したのは、自身が3人目の子どもを妊娠中のことだった。表紙の写真は、アメリカの医師として世界でもかなり早い段階でワクチン接種の機会を得た後、所属先の病院のスタッフが後に続く妊婦さんたちの判断の助けとなるよう撮影してSNSに投稿したもので、この本の物語の始まりとも言うべき一枚だ。
「なかでも大きなモチベーションになったのが、自分は妊娠、出産を3回経験していて、その大変さを身体的にも精神的にも実体験として知っているということでした。妊婦さんたちがこのパンデミックの中でハイリスクな状況にさらされているにもかかわらず、ワクチン接種という自分と赤ちゃんを守ることができる方法から遠ざけられてしまっていたのを見過ごすごとはできなかった。
ワクチン接種に限らずとも、母親というのは家族に対して大きな責任を背負わされることが多い立場であるにもかかわらず、判断のための情報とかサポートが手に届かない位置にあることも多いんですね。それでいて、責任を果たそうと判断したことに関してはどんな判断であったとしても批判される対象にある。
しかも日本ではその傾向がとりわけ強いと感じたし、それが私の妊婦としてのワクチン啓発活動が非科学的な理由を基にバッシングされたことにも象徴化されて現れていました。でもだからこそ、妊娠中にワクチンを接種している日本人の医者であって、子どもが3人いる母親であり、小児精神科医である私がメッセージを伝える意義は大きいと思ったんです」
小児精神科医が妊婦や母親たちへのワクチン啓発活動をするのはなぜか、という疑問を持たれることもあったそうだが、そこには母親たちに向き合うという接点と、まさに「ソーシャルジャスティス」というつながりがあったと言う。