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 山村が戦力外通告を受けた翌日、あるスポーツ紙が「A投手の殴打が原因」と書いた。

 それを、誰もが『A=中込』だと思ったのだ。

 記事が掲載されたその当日、山村は「A投手って誰ですか? 書き過ぎです」と阪神担当の記者たちに、暴行がなかったことも含めて全面否定している。

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 そして山村は、一切「中込」の名前をメディアに向けて発していない。しかし、中込の方は、山村が「中込さんにいじめられた」と公表したと思い続けていたのだ。

「あいつじゃ、ないんだ?」

中込が言い訳をしたり誤解を解こうとしない“理由”

 山村への戦力外通告後、球団が「調査結果」として明らかにしたのは、トレーニングルームで横たわっていた山村の首付近を、「ある選手」が踏んだという事実のみ。しかも、そのアクシデントと自律神経失調症との因果関係は否定している。

©文藝春秋

 その「ある選手」は中込ではないことを付記しておく。

 また、ストレスと心の関係を示す“コップの水論”といった概念も、山村が抱え続けていた苦悩に関しても、その当時の球団には、さらに自省を込めていえば、番記者をはじめとした報道する側にも、全く理解が及んでいなかったというのも間違いない。

「選手って、何か言い訳にしたいわけじゃない? だって、クビっていうのは、やっぱり恥ずかしい問題で、何かを理由にそういう風になっちゃった、でも僕はまだできますよっていう言い訳。僕も日本でダメで、まだできると思って台湾に行った。そういう言い訳が必要な部分ってあると思うから、彼がそう言ったのはしょうがないことですよ」

 インタビューが始まって、山村の一件を話し始めた時、中込はこう語っていた。

 そこに私はすぐに違和感を覚えたのだが、あえてスルーして、最後の最後に説明するような形で、山村が一連の問題に関して、すべての対応を球団に預けていたことを告げた。

「そういうのがあったんだ。でも、そうか。この後、山村に文句も何も言ってないし、詰めてもいないしね。そうか、そういうのがあったのか」

 うなずいて、最後にこうつぶやいた。

「ええこと、聞けたわ。聞けてよかったわ。楽しかったわ」

 ただ、1999年の“誤解”は、今もなお、消えていない。

 そのことだけは、阪神の取材に関わった記者の一人として、反省と悔恨の念とともに、忘れず、胸に刻んでおきたい。