「阪神は強くなりますよ」「23年は優勝します」。今シーズン前、タイガースの躍進を確信する男たちがいた。藪恵壹、藤田太陽、中込伸らかつて阪神タイガースを支えたOBたちである。なぜ彼らは18年ぶりの歓喜を予想できたのか。
阪神タイガースと、岡田監督時代のオリックスバファローズでも番記者を務めた喜瀬 雅則氏の『阪神タイガースはなんで優勝でけへんのや?』(光文社)より一部抜粋。元選手たちの証言と共に、優勝へと導いた岡田監督の手腕に迫る。(全2回の2回目/前編を読む)
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オリックス監督を務めて変わった岡田彰布
オリックス監督時代の3年間を、私は番記者として見続けてきた。岡田の野球観は鋭く、さらに独特の“岡田語”のロジックは、その二手先、三手先の結論が先に来るものでもある。プロセスの詳しい説明が省かれるケースがほとんどなのだ。
岡田は、それを「プロやん。察さなアカン」という。
しかし、当時のオリックスの選手たちには、悲しいかな、それを読み切る力がまだなかった。勝ち方を知らない弱いチームでは“岡田の意図”を瞬時に理解できないのだ。
2004~2008年の阪神・第1次岡田政権当時は、金本知憲、下柳剛、藤川球児、新井貴浩、桧山進次郎ら経験豊富で、実力も実績も兼ね備えた主力たちが、それこそ全盛期の時代だった。岡田が「1」を言えば「10」分かってしまうような選手ばかりだ。
大きな指針を示せば、選手たちは目的地に向かって、それぞれのやり方で、きっちりと定められた時間にたどり着くことができたのだ。
その“成熟した阪神”と“未熟なオリックス”とのギャップは大きかった。
阪神時代のスタンスだった岡田に、次第についていけなくなったオリックスの選手たちとの溝が、年々深まってしまっていたことを、番記者の一人としてひしひしと感じていた。
昨年の秋季キャンプで見せた岡田彰布の変貌
阪神監督復帰が決まった直後の2022年秋季キャンプ。
岡田は足繁く選手のもとへ足を運び、直接アドバイスを送り、自らスイングをして見せたり、守ってみたりと、実際に動きまで見せ、実に懇切丁寧な指導をしていた。
時代の流れ、選手の気質、育ってきた環境。そうした変化を踏まえたのだろう。岡田は間違いなく、かつての“アプローチ”を変えている。
そして、就任会見でも、新人選手の入団発表でも、岡田は「アレ」と言い続けている。笑いのオブラートで包みながら、進むべき方向を指し示しているのだ。