「哄笑(高笑い)一番、自ら深く覚悟するもののように見られた」で記事は終わっているが、気炎というより、余裕しゃくしゃくの豪語で警察を嘲笑しているような印象だ。
「外国人は日本を『スリ国』だと言う」
のちに衆議院議員にもなる弁護士、高木益太郎が創刊した「法律新聞」は12月10日発行の巻頭社説「掏摸の大檢擧(検挙)」で要旨次のように検挙に賛同した。
外国人は日本を「スリ国」だと言う。スリは敏捷で、警察はさらに敏捷。貴重品が10日もしないうちに所有者に戻るのが通例で感謝に値すると。しかし、それはむしろ帝国の恥辱だ。犯罪団に対して、警察官が一存で手加減して不公平な態度を取るとすれば、国家法治の綱紀は地に落ちたといえる。いまや警察はスリたちが勝手に横行するに任せず、従来使ってきた他の犯罪捜索の便宜を犠牲にして、青天のへきれきのただならぬ一網打尽の大検挙を断行した。
ここでも指摘されたように、日本では警察とスリの間に腐れ縁ともいえる癒着があった。元検事による小泉輝三朗「明治犯罪史正談」(1956)は書く。
「明治時代の警視庁には、名探偵とうたわれた者がたくさんいて、たびたび市民の喝采を博した大捕り物もあった。しかしその陰には…」
警視庁だけといわず、そのころまでの日本の警察の捜査には、旧幕時代からの悪い慣習で、十手を預かる者、目明しという者が諜者と呼ばれて控えていて、警察の手先となって捜査の補助をする半面、いろいろよからぬことをして害毒を流していた。スリどもが十手風を吹かせて残る所なく悪いことをするが、警察は見て見ぬふりをしていた。深みに入り込んだ者には、スリとの間が金銭賄賂の関係になり、警察がスリに痛いところを握られて頭が上がらないという醜態になっている者さえあった。
明治時代の警視庁には、名探偵とうたわれた者がたくさんいて、たびたび市民の喝采を博した大捕り物もあった。しかしその陰には、そういう名刑事ほどたくさん諜者を飼っていて、これを「畑」と称し、常日頃目に余るような養いでもしていないことには、いざという時の用に立たないという悲哀があった。弊害は生まれずにいなかった。
大審院(現在の最高裁判所)判事まで務めた法律家で明治文化の研究者でもあった尾佐竹猛が銀次逮捕直後の1909年7~9月、「法律新聞」に連載した「掏摸物語」=のち「賭博と掏摸の研究」(1925年)に収録=は安楽警視総監の言葉を書き留めている。「他の犯罪捜索の必要上、スリ検挙に手加減を加えるのは従来久しい慣習となっていた」。
スリの側にも事情が…
スリの側にも事情があった。「明治犯罪史正談」によれば、スリの社会にも博徒(ばくち打ち)の社会同様縄張りがあるが、それは「目こぼしが受けられる」「安全に仕事ができる」範囲を意味する。「換言すれば、スリ社会においては、警察を買収して安全に仕事ができる場所の範囲が縄張り」であり、その根拠は「とりもなおさず警察との汚職関係である」。その関係が「目に余るものとなっていた」という。