あくまで警察側、と言うより本堂署長側に立った見方。銀次の「妾」は新聞によって「(お)國(国)」「(お)クニ」の表記もあるが、銀次の聞き書きなどを基に「おくに」で統一する。
押収された小判に宝石、時計の数々
同記事は続いて押収物についても詳しく書いている。
押収したのは慶長小判1枚、宝石6個、婦人持ち18金着せかけ時計鎖、襟かけ金鎖などだが、ほかに贓品(ぞうひん)台帳が1冊あった。西洋紙つづり、厚さ1寸5分(約4.5センチ)で、表紙にはオシドリの絵を描き「350円」(現在の約125万円)などと落書きしてあった。中には「きん」「はる」「〇」「どて」「ちび」「はげ」「中村」など十数名の子分の索引を付けて、4月15日から記入。はじめ金額は「五円」(現在の約1万8000円)「十円」(同約3万6000円)「二十円」(同約7万1000円)「三十円」(同約10万7000円)などの大口だけで「内証かし」「受取」などと書き、ハンコを押して符丁を記入してある。どれも大姉御のおくにが手書きしたもので、この台帳こそ珍無類で有力な証拠品だという。
「贓品」は盗品のこと。異体字を使った「賍品」とした新聞もあるが、見出し以外は「贓品」で統一する。銀次逮捕は各紙取り上げたが、扱いやニュアンスはかなり違う。
東日は26日付で「警察界の大廓清」を見出しに再び長い記事を載せ、以後も連日精力的な報道を続ける。「廓清」は悪いものを取り除くこと。他紙は報知がやや熱心だが、ほかは冷静というより冷淡な報道姿勢が目立つ。それは、警察同様、新聞とスリの関係が影響していたと想像できる。
当時、新聞は競って事件報道に力を入れ、萬朝報、次いで報知は専門の「探偵チーム」を編成。警視庁の元刑事らを採用して取材に当たらせた。そこには当然、「情報屋」としてのスリや窃盗犯との関係も持ち込まれたはずだ。程度の差こそあれ、他紙も同様の問題を抱えていた。
東日はこのころ、部数の落ち込みが激しく、起死回生を狙って本堂署長の“スリ狩り”に乗り、報道を過熱させたと考えられる。銀次は新聞の部数競争にも利用されたといえそうだ。