「僕が書く詞の中の“君”というのは…」
スターは「あとどれだけの時間を嫁さんと一緒にいられるんだろう、どれだけの仕事ができるんだろうと考える」と話し、「洗濯も掃除も教えてもらってしている。共働きでは、五分五分の役割をしたほうがいいと本当に思う」と語った。何を訊ねても羨ましかった。ファンにとっては田中裕子アレルギーの素となるのだろうが、他の取材でも同様の話をして、こんなふうだ。
〈今、僕が書く詞の中の“君”というのは、ぜんぶお母ちゃんのことです〉
〈僕にはおばさんが入ってて、お母ちゃんには男が入ってる、あんた男前やなあなんて褒めて、そうですね、仲いいです。毎晩、一緒にお酒飲むし、服も共用だしね〉(「クロワッサン」03年6月25日号)
05年にリリースされた沢田の42枚目のアルバム「greenboy」に、「MENOPAUSE」という更年期障害をテーマに彼が作詞した歌がある。♪ちゃんと向きあいましょ きっと乗り越えるよ♪ ♪ぎゅっと抱きしめ合おう♪と歌う曲を作ったのには理由があった。
「もしそういう症状になった時、お医者さんという存在だけじゃない、他に誰か一緒に向き合ってくれるパートナーが必要なんだと、なんかで読んだんだ。その時にね、いつか歌にしなきゃいけないと思ったんだ」(「今日は一日ジュリー三昧」)
再婚がもたらした変化
日本でフェミニズムがブームになったのは80年代後半からで、男らしさを問い直す男性学も生まれていた。だが、男女平等を標榜する男性が、ジュリーのように実生活でパートナーと対等な関係を結べるかは、また別の問題であった。先述の「吉田拓郎の千夜一夜」で吉田は、妻のために朝ご飯を作り、撮影へ向かう妻を手をふって見送り、Suicaを持ってJRにも地下鉄にも乗って仕事に行き、銀行の振込みにも出かけるという沢田に驚嘆して、「あの沢田研二が!」と繰り返した。
沢田が最初からこうした考えの持ち主だったとは思えない。♪女は誰でもスーパースター♪と歌う「OH!ギャル」を、「僕みたいな日本男児的な考えの持ち主が、おべんちゃら言えない」と拒んでいたではないか。
1994年、「阿川佐和子のこの人に会いたい」に沢田が登場した。その時のタイトルが「田中裕子の生き方に感化されてます(笑)」で、46歳の沢田が再婚後の生活や変化を問われるままに答えている。