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「歩かないで、両側に立つべき」が多数派なのに…「エスカレーターの片側空け」が終わらない根本原因

source : 提携メディア

genre : ライフ, 社会

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鉄道駅におけるエスカレーターの本格的な普及は戦後、1960年代以降のことである。この時代を象徴するのは、1967年に高架化された阪急電鉄梅田駅に設置されたエスカレーターとムービングウォーク(動く歩道)と、1969年に当時最も深い駅として開業した営団地下鉄千代田線新御茶ノ水駅に、設置された日本一長い約41mのエスカレーターである。

ところが東西のエスカレーター文化は分岐する。梅田駅では阪急自ら「右側に立ち、左側を空ける」片側空けを呼びかけたのである。よって日本のエスカレーター歩行の発祥は大阪と言われる。

重要なのは、これは利用者が自発的に始めたことではないということだ。なぜそのようなマナーが求められたのかを解くカギは、目前に控えた大阪万博にある。つまり万博という世界へのお披露目の場において、エスカレーターの片側空けが必要とされたのである。

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海外の目を意識した「先進国としてのマナー」

エスカレーター文化史を研究する江戸川大学の斗鬼正一名誉教授によれば、右側に立ち、左側を空ける片側空けが世界で初めて行われたのはロンドンの地下鉄駅だという。いつどんなきっかけで始まったかは明確になっておらず、第2次世界大戦中に混雑対策として公務員が思いついたという説があるようだ。

片側空けはエスカレーターの普及とともにヨーロッパ、アメリカなどに広がり、当時の「先進国」では当然のマナーとされており、オリンピック、万博を経て本格的な国際化を迎える中で、外国人の目から見て恥ずかしくない振る舞いが求められた。

傍証として斗鬼は、2002年の日韓ワールドカップの開催を控えた仙台で、国際化を意識した市民により自然発生的に片側空けが始まった例や、2008年のオリンピックを控えた北京で「文明乗梯右側站立左側急行(文明的なエスカレーター利用は右側に立ち左側は急ぐ人のために空ける)」とのマナーキャンペーンが行われた例を挙げている(斗鬼正一「空けるな危険! エスカレーター片側空けパンデミック」より)。