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「歩かないで、両側に立つべき」が多数派なのに…「エスカレーターの片側空け」が終わらない根本原因

source : 提携メディア

genre : ライフ, 社会

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興味深いのはエスカレーター歩行経験、禁止意向とも2018年頃からトレンドが変わっており、特に2020年以降に大きく変化している点だ。2018年頃から兆候がある以上、コロナ禍による外出頻度や生活様式の変化が要因とは言えず、歩行問題が取り上げられる頻度が増えたためと考えるのが自然だろう。

反対多数なのに、なぜなくならないのか?

一方で「人やかばんなどがぶつかり、危険と感じたことがある」の回答は横ばいであり、エスカレーターは歩くべきでないという考えが広まり、実際に歩行が減ったにもかかわらず「被害」は減らないのが実情のようだ。なぜ多くの人がやめるべきと考えながら歩行がなくならないのだろうか。

エスカレーターの歴史は古く、19世紀末に発明され、ニューヨークやロンドンでは20世紀初頭から鉄道駅への設置が始まっている。初期のエスカレーターは形状や原理が今と異なったが改良を重ね、1920年代には現代的なエスカレーターが成立した。

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日本初のエスカレーターは1914年3月に上野公園で開催された東京大正博覧会で、「わが国最新の自動階段」という宣伝文句で登場したデモンストレーションである。また同年10月には日本橋三越に初の常設エスカレーターが設置された。

鉄道では1932年4月29日に開業した東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)三越前駅に、三越の負担で設置したエスカレーターが最初といわれ、同年7月1日にはJR総武線両国―御茶ノ水間延伸開業にあたり秋葉原駅総武線ホームにも設置。翌年に開業した大阪市営地下鉄(御堂筋線)にもエスカレーターが設置された。

「片側空け」を最初に呼びかけたのは阪急だった

ただしこの時代は東京大正博覧会から20年もたっていない。一般市民にとってエスカレーターは「アトラクション」であり、東京の「名物」だったため歩くといった発想はなかった。これら戦前のエスカレーターは戦時中の金属回収で撤去され、姿を消す。