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「歩かないで、両側に立つべき」が多数派なのに…「エスカレーターの片側空け」が終わらない根本原因

source : 提携メディア

genre : ライフ, 社会

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同じ時期に、より長いエスカレーターが設置された新御茶ノ水駅では、外部の視線を意識する必要がなかったため片側空けは行われず、エスカレーターを歩こうという人もいなかった。当時の新聞記事の写真を見ても、ステップの中央に立ち手すりにつかまる「理想的」な利用方法をしていたことが分かる。

関東の「右空け」は自然発生的に定着したか

それどころか毎日新聞(1977年12月16日)のインタビューに対し、開業時の駅長が、遊園地へ行くより安上がりとして孫の手を引いて毎日エスカレーターに乗りにくるおばあさんがいたと回想している。当時の日本最長のエスカレーターは、まだまだアトラクションだったのである。

そんな中、関西では着々と片側空けが広がっていく。1981年に開業した京都市営地下鉄、1985年に新神戸駅に到達した神戸市営地下鉄で、片側空けを呼びかける放送や掲示が行われ、1990年代に入っても近鉄布施駅、京阪京橋駅、JR東西線北新地、大阪天満宮、海老江駅などでマナー啓発が行われた記録があるという。

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この頃になると片側空けは関東でも行われるようになり、1989年9月2日の読売新聞は「最近、新御茶ノ水駅にロンドン方式らしい現象が現れるようになった」と伝えている。

1992年2月24日付朝日新聞夕刊が「東京のサラリーマンの通勤風景に『新秩序』が生まれつつある」として、鉄道事業者が音頭をとって「左空け」が定着した関西に対し、自然発生的に「右空け」となったと報じていることからみても、本格的な定着は90年代以降のことのようだ。

では当時の人々は片側空けをどう考えていたのか。1981年6月25日、7月9日に掲載された朝日新聞の特集記事から見てみよう。

マナー論争は40年前から始まっていた

興味深いのはすでにこの頃、片側空けには賛否が飛び交っていたことだ。6月25日の記事は、東大教授の「イギリスから日本に帰ってくるたびにイライラするんです。ロンドンでは地下鉄でもデパートでも、急がない人は右側へぴったりくっついて、それは見事なくらいだ」との意見から始まる。