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背番号が二桁だった1年生のときから、事実上のエース

 前田は滋賀県出身で、小学生時代にはオリックスジュニアに選出された経歴を持つ。

 中学時代は琵琶湖の北部を拠点に活動する湖北ボーイズに所属し、目標は湖北ボーイズならびに大阪桐蔭の先輩である横川凱(現・巨人)だと話していた。そんな前田は、投球はもちろん牽制の技術も目を見張るものがある。

 一塁走者をまず目で牽制し、打者方向に向いたかと思うと再び一塁を向いて素速く牽制球を投げる。あるいは首を一度、二度と一塁側に向けて走者を塁上に釘付けにしながら投球動作に入り、平然とストライクを奪っていく。こうした技術は高校入学時点で完成されていたという。

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1年生の頃の前田。いま見ると表情に幼さも感じる ©江原明日香

 前田の1学年上には、昨年プロ志望届を提出した川原嗣貴(現・Honda鈴鹿)や、慶應大に進学した別所孝亮など有力な投手たちがいた。しかし甲子園通算67勝(歴代2位)を積み上げてきた名将・西谷浩一監督は、絶対に負けられない試合――たとえば大阪のライバル・履正社戦などでは、必ず前田にマウンドを託してきた。

 背番号が二桁の1年生だったとしても、前田は2年前の近畿大会・明治神宮大会を優勝したチームの事実上のエースだった。

打ち込まれて降板した試合は一度もなし

 当時、西谷監督は前田についてこんなことを話していた。

「前田が点を取られたあとにどんなピッチングをするのか見てみたい」

あと1勝で甲子園通算勝利数が1位タイに並ぶ大阪桐蔭の西谷監督 ©AFLO

 しかし練習試合でも公式戦でも、前田が追いつめられる場面はなかなか訪れなかった。前田が打ち込まれて降板した試合は入学以来一度もなく、“無双状態”が続いていたのだ。

 初めての甲子園だった2022年のセンバツでも“無双”は止まらなかった。準々決勝の市立和歌山戦に先発した前田は、まるで甲子園で投げるのが何度目かのように落ち着いていた。それを本人告げると、前田は笑った。

「アハハハ。緊張することはなかったです。マウンドでは心に波をつくらないようにしています。弱気なところを相手には見せたくないんです」