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その後、都市無差別空襲は名古屋・大阪・神戸と続き、やがて地方都市も空襲に見舞われた。
なお、本格的な無差別爆撃が始まる前、日本軍はB29を撃ち落とす有効な手だてがなかったにもかかわらず、B29の損害は少なくなかった。それは機体トラブルが後を絶たなかったためである。北九州への初爆撃のとき、成都を飛び立ったB29は75機だったが、28機がエンジントラブルなどで脱落しているし、マリアナから東京への初空襲でも111機が離陸したが、東京上空に達したのは88機だった。
そこで米軍が目を付けたのが、マリアナ諸島と東京のほぼ中間に位置する南北4キロの小さな火山島・硫黄島であった。ここに飛行場を設ければB29の中継基地として利用でき、また、航続距離の短い戦闘機の出撃基地として使えて、本土空襲のときのB29の護衛に付けることができる。このために起きたのが、硫黄島の戦いである。
米軍は1945年2月19日から攻撃を開始し、日本軍守備隊と死闘を繰り広げたが、3月26日、守備隊の玉砕によって硫黄島を奪取した。
本土防衛の盾となる沖縄
フィリピンの決戦に敗れ、硫黄島に米軍が進攻すると、いよいよ本土決戦の可能性が高くなったが、その前に本土防衛の盾となる沖縄が激戦地となった。