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 それでも、たった1回だけ、母には「おじさんのマンションには行きたくない」と伝えたことがあります。

「ちょっと、タバコのにおいが苦手やねん」などと、さりげなく。

 母はニッコリ笑って言いました。

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「じゃあ、ウチに来てもらおか」

 私は心底絶望しました。

 そうじゃないねんけどなあ……と。

 多い時で、1週間に1回。

 少なくとも月2、3回は、こんなことがありました。

 悪夢は1年近く続きました。

著者の橋本なずなさん

誰にも相談できへんかった

 誰かに相談したか、ですか?

 そんなこと、考えもしなかったです。

 女性の担任の先生にも、親戚にも、もちろん友達にも。

 学校では明るく振る舞っていて、友達と呼べる子も、いたにはいました。

 小学生にしては発育もよく、父から買ってもらったお姉さん風セシルマクビーの服でギャルっぽく盛っていた私は、ある意味、目立つ存在だったのかもしれません。

「なず~! 可愛い~!!」とチヤホヤしてくれる子も何人かいましたが、決まって1年たつと、あちらから離れていきました。

 自分で認めるのは本当につらくて情けないけれど、きっとみんなに「この子と仲良くしたい」と思ってもらえるような、大事な何かが足りなかったんでしょうね。

 私は学校に居場所があるようで、ありませんでした。

 誰かに見捨てられる、離れられるのがつらかった。

 しんどかった。

 弱いところ、ダメなところは絶対見せたらアカンと思ってました。

 だから、母の恋人から「ひどいこと」をされてるなんて、決して言えませんでした。

 まして、担任の先生ならば、なおさら。

 話が大事になってしまうでしょうから。