熊本地震で被災し、7年ぶりに全線運行が再開された第三セクター・南阿蘇鉄道(立野-高森間、17.7km)。会社を支えているのは若手社員だ。発災時の平均年齢は60歳に近かったのに、一気に若返った。地震で乗客が激減し、一度は社員を削らざるを得なかった余波である。社員の若さは復興へ向けた明るい話題ではあるが、会社がくぐり抜けてきた波がいかに大きかったかの証拠でもある。
「あれだけの大地震を経験したのに、ついに全線運行を再開しました」。濵川秀斗(はまかわ・しゅうと)さん(22)が語る。南阿蘇鉄道に10人いる運転士の一人だ。最も若く、2023年4月に乗務を始めたばかりのピカピカの新人である。
『頑張って』と声を掛けられ、多くの人に支えられていることを実感
出身は隣の宮崎県でも南端に近い日南市。南阿蘇鉄道が走る熊本県南阿蘇村や高森町からだと、高速道路を使っても3時間以上かかる。そのような遠方からわざわざ就職したのは、「災害に負けない鉄道の姿に深い感銘を受け、私も復興に関わりたいと思いました」というのが理由だ。
鉄道の運転士になるには、国家資格が必要だ。2022年4月に採用された後、JR九州に1年間派遣されて資格を取った。南阿蘇鉄道で運転席に座り、一人立ちしたのはこの春からだ。
「南阿蘇鉄道を応援しようと、遠くから乗りに来てくれる人もいます。私は青森県から来た人に会いました。『頑張って』と声を掛けられると、この鉄道が多くの人に支えられているのだなと実感します」
だが、全線復旧するまでは、高森-中松間のわずか7.1kmの区間を往復するだけで、どこにもつながっていなかった。「生活の足」としての機能はほぼ失われ、応援のために乗りに来てくれた人や、車窓から阿蘇山を観望しようという観光客が支えだった。
運転士は運転もする「なんでも屋」
経営は追い詰められ、被災時に16人いた社員は8人に削減せざるを得なかった。JR九州からの出向社員には戻ってもらうなどしたのだ。当時は若手社員が少なく、平均年齢は60歳に近かったという。
「これだけ社員が減っても運行できたのは、高森-中松間の往復しかできなかったからでした」と、中川竜一・鉄道部長(52)が振り返る。
だが、全線復旧となると要員が足りない。そこで新たに若手を採用した。現在は16人にまで増えたが、中川部長は「最低でも20人は欲しい」と話す。
10人の運転士のうち、地震の前から会社にいたのは3人だ。68歳の2人と、地震が起きた月に新人として乗務を始め、半月後には被災してしまった1人である。残る7人は濵川さんのように被災後に新規採用された。
10人は運転だけしているわけではない。車両の洗浄から事務、駅の窓口対応、物販と、なんでも屋だ。名物のトロッコ列車の運行時には車掌として乗り込み、沿線のガイドもする。
最年長の寺本顕博さん(68)は「よく運転士ですかと言われますが、運転もするという感じですかね」と笑う。