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《直木賞受賞》「こらえ性もないし、だらしがないし…」作家・垣根涼介が描いた、室町幕府の開祖・足利尊氏の人間性

直木賞受賞・垣根涼介さんインタビュー

2023/07/23
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――そういえば『光秀の定理』でもいきなりエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』とかが出てきましたよね。

垣根 あれはギャグです。僕が歴史小説で書いているのは、結局自由をうまく使えない人は自由を持て余して自由から逃げちゃうんだよ、ということなので。それはいつの時代でもそうだと思います。自由ってどうしても持ち余りがする。

 光秀ってある種、社畜なんですよ。簡単に言うと、織田家というブラック企業に入り、信長からパワハラを受けるけれど、一族郎党を食わせるために激務に耐えていく男の話なので、それでフロムに触れました。

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尊氏と現代人の類似点は

――『極楽征夷大将軍』のそうしたパートで印象的だったのは、最終章のひとつ前、第3章の最後、〈……尊氏は、我ら現代人によく似ている。〉のくだりです。〈確固たる生き方の規矩を持たず、現世での苛烈な野心も、我が生に対する使命感のようなものも格別にはなく(以下略)〉と続いていく。

垣根 今の時代を生きている僕らって、生まれた時に何か独自の使命感を背負わされているわけではないですよね。親から言いつけられることとしてはせいぜい「ちゃんとしなさい」とか「いい大学に行って、いい会社に就職しなさい」くらいじゃないですか。

 でも、あの時代の人にはそれぞれ自分の役割がある。生まれてきた立場を全うしなくちゃいけない。それが使命感につながったり、生き方を形作ったりしていた。さきほど出たフロムの話も絡んできますが、僕らって、結局あふれるほどの自由は持っているんですよ。ただ、どれをチョイスしたらいいか分からない。

 もうちょっと言うと、どう生きてもいいとなると何のために生きているのか分からなくなり、その存在の軽さに耐えられない時がある。そう考えること自体が間違っていると僕は思っているんですけれど、でも、やっぱり考えてしまいますよね。

 尊氏は、そういうところが現代人に似ているなと思っています。だって、彼はそもそも帝王学を受けていないんですよ。側室の子供で帝王学を受けないまま家を継いだので、強烈な使命感がないのは当然です。だから「俺が家を継ぐなんて自信がない」とか「僕は引退しますから弟にやらせてください」とか言う。

 そういう意味で、人物は強烈ですけれど、生き方の強烈さがどこにもない。彼もやっぱり、存在の軽さを常に意識していたと思います。たとえば、尊氏が書初めに書いた「天下政道、不可有私、次生死根源、早可截断」っていう言葉がありますよね。

©文藝春秋(撮影:深野未季)

――「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」という。

垣根 「次生死根源、早可截断」ってすごく厭世観が表れていると思う。僕はそこに自己の不在をすごく感じるんです。少なくとも自己愛はなかった人だろう、と。その自己愛の希薄さって、たぶん僕らにもある。

 昭和の時代はみんなもうちょっと自己愛が強かったけど、平成の時代にジワジワ小さくなって。令和はどうなるか分かりませんけど、何かを目指して「ここに猪突猛進します」みたいな感じの生き方よりは、その場その場の波に漂っていっている人間が多い気がします。

 それを批判しているわけではなくて、そういう生き方にならざるを得ないんだろうなと思う。こういう時代だと、生き残り戦略として、たぶん尊氏みたいな生き方が無意識には正しいんでしょうね。