「ついに自分のことを書きましたね」と言われたが…
――でも最終章で、尊氏は変わっていく。
垣根 師直が死んで、直義が死んでいくと、「俺どうしよう」となるんですよ。結局独り立ちするしかなくなっていく。
話は違うんですけれど、僕、尊氏って個人としては超くだらねえやつと思って書いたんですね。こらえ性もないし、何も考えてないし、だらしがないし。そう考えながら本にしました。そしたら大学の時の友人から電話がかかってきて、「読んでみたら、尊氏がお前とダブって見えるんだけど」と言われて。
その後、他社の編集者が電話をかけてきて、「垣根さん、ついに自分のことを書きましたね」みたいなことを言うんです。「え、俺ってあんなに駄目なの?」って、人に言われてはじめて気づきました。確かに僕は、仕事は一生懸命やっているつもりなんですけれど、他のことはまるで駄目なんですよ。書いている時以外は「今日何食おうかな」とか、そんなことしか考えていないです。でもそういう人は多いし、そういう人が笑って読んでくれればな、と思っています。
実際、昔、女性に説教された時、「あなたは人として中身が薄い」って言われたことがあるんですよ。「薄い」って表現を人に対して使うのをはじめて聞いたと思って笑っちゃって、さらに怒られました。ずいぶん前の話なので、今はもうちょっとマシな人間になっていると思います。
ただ、人に対して「薄い」と言うのは小説の表現方法としていただきたいなと思って、今回使っています。この本の中で、「万民が担ぐに足る神輿というものは、その中身が軽ければ軽いほど、薄ければ薄いほどいいのだ」って書いてます(笑)。
「ここにはいられない」と思った中学時代
――薄いですかねえ。以前おうかがいした、垣根さんが中学生の時に「勉強しよっかな」と思い立ったエピソードが印象に残っています。
垣根 ああ、正確には「ここにはいられない」と思ったっていう話ですよね。中学生だった頃、地元がめちゃめちゃ荒んでいて、卒業して高校生になったやつらが中学の校庭に単車で来て乗り回して、周りがヒューヒュー言っていて。それを見て、「ここにいたらやばいな」って思ったんです。いつか地元を離れようと思った。それで中2から中3にかけてすごく一生懸命勉強しました。その後はあんまりしなかったんですけれど。
――大学進学で地元を離れ、卒業後東京で大手に就職して。
垣根 何も考えてなくて、最初に内定をくれたリクルートに就職したんですよ。そこで、広告を作る仕事に就いたんですが、何もできなかった。あの時に、方向性がある奴とない奴の差は一生埋まらないと思いました。自分のボンクラさを自覚したんです。「お前、大学4年の間にやりたいことを一個も見つけられなかったのか」と思いました。
――その時に、「このままじゃ駄目だ」と思って、猛烈に読書を始めたんですよね?
垣根 そう、仕事をしながら1日1冊、2年間で700冊読みました。
――その後、転職もされたそうですが、小説を書き始めたきっかけというのがこれまた印象に残っていて……。