履歴書を提出させられるスケ連
「のぶこさん、こんなに設立当初から今に至るまでスケ連に関わっているということは、歴代のメンバーをみんな把握してるんですか?」
栃内良のこの質問に、のぶこは嬉しそうに押入れからぶ厚いファイルを出してきた。それはなんと歴代メンバーの“履歴書”だった。普通の市販の就職用の履歴書だったため、もちろん趣味や特技、志望動機の欄もある。
「昔の子たちはみんな気合いが入ってたもんで、趣味も喧嘩と暴走とか多かったんだけど、最近の子はテニスとか音楽なんて書いてきてるから気合いが足りない」
その解説に思わず栃内良と爆笑してしまった。納得するようなしないようなところだが、ここまで管理を徹底しているチームはまずどこにも存在しないだろう。また、押入れにこの履歴書を大事そうに保管しているところからも、のぶこにとっての「スケ連」がどれほど大切な存在だったかが窺い知れた。そしてもう1つ驚いたのは、メンバーのことを隅から隅まで把握していることだった。
壮大な物語は期待した以上のスケールが大きいものに
「この話を元にスケ連の歴史を連載でやらせてもらいますので、今後ともよろしくお願いしますよ。あと、せっかく豊橋まで来たので、いろいろ別の企画もやりたくて、例えばOBで何か仕事をしてるとかお店を持ってるとかそういう方がいれば明日とか取材したいのですが、誰かいますかね?」
「あ、じゃあ、◯◯子がいいかな、最近安城の方でスナック始めたもんで、連絡は◯△×―◯◯◯◯。あと1人、◯美もいいかな、◯◯△―××◯◯」
携帯やポケベルの番号がスラスラ出てくるのだ。こっちは慌てて何回も聞き直したりして、ようやく番号をメモすることができた。のぶこはもともと、こういう特殊な能力を身につけていたのだろう。
のぶこの話を基に栃内良が壮大な物語を書き上げてきた。その内容は期待した以上にスケールが大きい“レディース版戦国大河もの”に仕上がっていた。1991年10月号から「女連伝説」として3回連載でスタートした。この連載も大きな話題になったが、同時に良くも悪くも『ティーンズロード』イコール「スケ連」というイメージもまた生まれてしまった。
近県の他のレディースが「スケ連」に遠慮して『ティーンズロード』に載ることをためらうようになってきたのだ。「スケ連」の圧倒的な構成人数は別格であるにもかかわらず、あれぐらいの人数がいないと大きく取り上げてくれないのではないかと、尻込みするレディースの声も聞こえてきた。それによって“どこでも誰でも取材する”という本誌のコンセプトが揺らいでしまうことにもなるので、ためらうレディースを説得したこともあった。
とはいえやはり読者人気は相変わらず高く、「スケ連」は自分が編集に関わった1993年の6月号まで、年に数回は必ず特集記事を組んだ。