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レディースは学校からはじき出された不良少女たちの“居場所”

 また、よく見ると、新人たちは何やら必死でノートにメモをとっている。先輩の一言一言をノートに書いていたのだ。注意されていた新人に話を聞いた。

「やっぱりすぐ忘れてしまうので、メモしてるんです、次は注意されないように気をつけます」

「まるで学校みたいだね」

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「私は中学も行ってないので、漢字とかあまり書けなかったんですが、スケ連に入って漢字を覚えました。先輩とかにも挨拶できるようになりましたし、私にとってはスケ連は学校みたいなものです」

 この子がこの後どういう人生を送ったかはわからないが、これはある一面教育問題を表しているような気がする。もちろんレディースに入ることをすべて肯定するわけではないが、この時代、多くのレディースたちは実は中学校にも通っていない。通学しても素行不良で学校からつまはじきにされてしまう。はじき出された少女たちにとって受け入れてくれる居場所がレディースだったのだ。世間では素行不良の集団と煙たがられるが、10代のある時期、自分の存在を認めてくれる居場所があることは結構大切なことだ。そういう側面もレディースにはあったということもまた事実なのだ。

「スケ連」の特集も組まれた伝説のレディース雑誌『ティーンズロード』(写真=比嘉健二氏提供)

「スケ連」が原因で地元帰れない子も

 この幹部会の取材はいろいろな意味で意義深いものであり、同時に『ティーンズロード』を作る上でも大いに考えさせられた思い出深い出来事だった。実際に「立ち番」も取材させてもらったが、この日豊川駅に降り立った“不幸な”茶髪の少女が数人「スケ連」の“新人”メンバーとしてスカウトされていた……。

 ただ、こんなエピソードもあった。『ティーンズロード』を離れて数年後、全く違う雑誌で、あるセクシータレントの取材をしていたら、その子の地元が豊橋と知り、つい懐かしくなって、『ティーンズロード』と「スケ連」の話を振ったら、一瞬顔の表情が険しくなった。その子はどうやら「スケ連」に脅かされ、地元から逃げ出してきた経験があるようだ。 

「ムチャ怖かったでした、だから今でも地元帰れないんですよ。そういう子結構いるんじゃないですかね」

 すべてがいいことばかりでないことも、また現実ではあるのだ。

 この「スケ連」を特集すると、どの号も爆発的に売れ、ヤンキー以外の“一般人”にも存在を知られることになり、『ティーンズロード』は良い意味でも悪い意味でも社会現象となる。前述したようにこの当時、テレビや大手週刊誌、一般の月刊誌でもレディースの特集を組むようになり、それまで地方でそれほど目立っていたわけでもないレディースがにわかに脚光を浴びるようになったのだ。

 しかしその結果、ある問題を引き起こしてしまうことになる。