意外に真面目な誌面
「悪書」と世間から叩かれたように、表紙から巻頭のカラーページはレディースや暴走族の迫力ある生々しい写真で構成されていたので、ビジュアルだけで判断すると、コメントを求めてきた新聞記者と同じような印象を持たれがちだが、前述したように実はモノクロページは真面目な読み物が結構多い。また、“ティーンズロードは投稿雑誌”と評されるぐらい、誌面の多くは読者からの投稿で埋め尽くされていた。
その大半は、レディースや暴走族には入っていないごく普通の10代の女の子、またはヤンキーではないけれど、登校拒否や引きこもりの子、または学校を中退(もしくは途中で半ばドロップアウト)してバンドデビューを目指している子……。そんなちょっとハミ出た10代が圧倒的に多かった。実は“表紙や巻頭に登場するようなヤンキー”は読者のごく一部で、それ以外の大半は10代特有のちょっと道を外れたどこにでもいる少年少女だったのだ。
また、『ティーンズロード』の読者投稿ページは、親との関係についての悩みや友達関係のこと、失恋、シンナーがやめられないなど、結構深刻な話がほとんどで、よく読むと暗くて重い。自分なりの分析だが、思春期の少女は往々にしてこういうシリアスな問題を好むような傾向が強いような気がした。
「TRって悪書かな⁉」の特集でも打ち出したように、1つの議題に対して、雑誌側が答えを提示したり意図的に流れを作るのではなく、「これってどう思う?」と読者に投げかけるスタイルも特徴の1つだった。これは読者と雑誌の作り手ができるだけ対等でいたいと思ったからだ。誌面で何か議題を提示すると、それに対して読者が様々な意見を寄せてくる。さらにその意見に誌面で人気のレディースたちがコメントを寄せるという誌面構成もまた、独特の色をつけていた。
オシャレで都会的なデザインには極力しない
もう1つの特徴は『ティーンズロード』の誌面はプロとして生計を立てているライターや作家の原稿より、レディース本人の原稿が多かったことだ。文章力や表現力は当然劣るが、当事者だからこその生々しいリアリティーがあり、時にプロを圧倒する迫力があった。彼女たちは10代半ばにしてそれなりの人生経験を積んでいるので、言葉が生きているのだ。
原稿はこうした、限りなく素人を優先して使ったが、誌面のデザインは当時それなりに雑誌で活躍しているデザイナーを使っていた。ただし、注文をつけたのは極力オシャレで都会的なデザインに「しない」ことだった。1990年代の雑誌のデザインは白地や空間を生かしたシンプルな誌面が、特にカルチャー誌などでは主流だったが、『ティーンズロード』はそうならないように努めて「ダサく」した。