参考にしたのは新聞に入っているスーパーのチラシだった。色使いは原色やパステルカラーを多く使うように指示した。なぜなら、読者層の大半が地方の10代で、彼らはとにかくごちゃごちゃした勢いのいいお祭りのような誌面を好んでいたからだ。例えるなら、彼らが好んで利用していた量販店「ドン・キホーテ」の店内のようなものだ。
暴走族の少年たちから学んだこと
しかし、やはり作り手としてはたまには空間を活かしたシンプルなデザインにチャレンジしたくなる。一度、売れ行きも安定していた1992年11月号の表紙で、白地にポツンと小さいイラストだけをセンターに入れて、キャッチを1つも入れないという小洒落たシンプルなデザインにしてみた。ところが、たまたま表紙のラフのデザインが上がってきた時、編集部に遊びにきていた関東の暴走族の少年がこの表紙を見てこう忠告した。
「編集長これ次の表紙? これダメですよ、俺らこういうの好きじゃないんですよね、もっとごちゃごちゃして賑やかにしないと、これ買わないすよ、俺たち」
11月号はそれまで快調に飛ばしていた売れ行きにブレーキがかかった号となる。次の号から元に戻したのは言うまでもないが、彼ら独特の嗅覚は誌面作りに十分に参考になった。
デザインに関してもう1つ彼らから学んだことがある。その後の自分の編集者としての方向づけにまで影響されたことだった。ある埼玉県内の暴走族を取材したが、これが結構絵になるチームだったので、あえてアート性を意識してモノトーンでページを構成した。当時でいうところの都会的で小洒落たイメージだ。表紙で懲りたはずなのに、編集者の悪い癖でどうしてもこういう処理をしたくなるのだ。
作り手側が心地良いと感じるページは、大衆雑誌に限ると受け入れられない
自分としてはイメージ通り渋めに出来上がったので、彼らもかっこいいと喜ぶだろうと思っていたら、発売後、彼らから強烈なクレームがきた。
「なんで俺たちのところだけ写真に色がついてねぇんだよ! ふざけてんのか! こら!」
まさかそういう感想を持つとは、完全に予想外だった。彼らには自分なりの意図を述べたが、それでは納得しないことがわかったので、近々刊行予定だった暴走族写真集の方では必ずカラーページで掲載することを伝えた。彼らの声が一転して嬉しそうに変わった。
編集サイドの独りよがりは一般大衆読者に必ずしも受け入れられるものではなく、かえって仇となることの方が多いのだと改めて痛感した。作り手側が心地良いと感じるページは、往々にして、こと大衆雑誌に限ると受け入れられないことを知った。以降自分が手がけた雑誌はどこか田舎くさいデザインと誌面作りを意識した。今日も変わっていないこだわりは、暴走族の少年たちの指摘によるものだった。