もちろん、この仮説は推測の域を脱せず、定かなことではありません。なお、佐賀辰夫氏の遺族の方に今回の海軍帽子の件を伝えたところ、他の方の遺品の可能性もあるため、私たちが受け取るのは忍びないというお返事を頂きました。申し訳ありません」
どうやら海軍帽子の「さが」と、佐賀辰夫氏は別人らしい。持ち主を探す術がなくなったことで、私は海軍帽子の処遇に頭を悩ますことになった。
処分するのは忍びないが、遺族でもない私がこの海軍帽子を持ち続けることは不自然だったし、お寺で供養してお焚き上げするのも何かちがうように思えた。しかし、戦没者の遺品が展示されている靖国神社の遊就館に問い合わせたところ、持ち主が分からない戦争遺品は預かることができないと、やんわりと断られてしまう。
預け先も見つかったその矢先、一通の手紙が…
この海軍帽子の持ち主にとって、ベストな保存方法は何なのか。そこで考えたのが、ゆかりのある東北地方の戦争遺品の資料館に寄贈するという手段だった。
雲龍の事務局の手紙でも指摘されていたように、増間氏が同郷の誰かの海軍帽子を預かった可能性はゼロではない。何かしらの事情で増間氏が遺族に渡すことができず、そのまま自宅で保管していたというストーリーは、あながち「ない話」でもなさそうに思えた。
ネットで東北地方の戦争関連の資料館を探したところ、岩手県奥州市の「平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館」のサイトにたどり着いた。早速、メールで問い合わせたところ、担当者から返事がきた。
「軍帽の持ち主発見まで追跡調査をされたとのこと。これまでの経緯を踏まえて、よろしければ、その軍帽を展示品として取り扱いたいと思いますが、いかがでしょうか」
施設のスタッフのご厚意によって、海軍帽子はようやく引き取り手がつくことになった。増間氏の著書を添えて遺品を送り、これで一件落着。最終的に持ち主は分からなかったが、海軍帽子を預かった身としては役目を果たしたと思った。
その矢先、私の自宅に一通の手紙が届いた。