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3年後、事態は再び動き出す。きっかけは…

 一方で、私の中でもどこか納得する気持ちがあった。海軍帽子の持ち主らしき人物も判明したし、その帽子を大切に保管してくれる資料館も見つけ、手配もした。やれることはやった、という思いもあって、海軍帽子の調査は途切れることになった。しかし、3年後の2023年6月。仕事で戦争関連の資料をネットで探していると、思いもよらない文庫本を発見した。

『海軍特別年少兵 15歳の戦場体験』。増間氏の著書『二人の海軍特年兵の記録』が改題された文庫本である。発刊は2020年4月。ちょうどコロナ禍で取材を中断したタイミングだった。版元の出版社によれば、特年兵への関心の高さから増間氏の本を文庫化して再版することになったのだという。

右が2002年に発刊された増間氏の共著。左が2020年に改題されて発刊した文庫本

 当時の原稿は買い取りだったらしく、版権は出版社側にあったのだとか。しかし、増間氏とは連絡が取れなかったのか、巻末には「執筆者の方でご連絡がとれない方があります。お気づきの方はご面倒で恐縮ですがご一報くだされば幸いです」という一文が記されていた。

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「海軍大尉・嵯峨武」は「少年兵・増間作郎」の先生だった?

 気になって、あらためて「嵯峨武」という名前をネットで検索した。すると、静岡県牧之原市が発行している会報誌の、ある航空写真がヒットした。そこにはキャプションで次のような文言が添えられていた。

「大井海軍航空隊航空写真(昭和17年ごろ)※上空5,000mから撮影 〈写真提供〉元海軍大尉 嵯峨 武氏(空写会会長)」

 嵯峨氏が撮影したと思われる写真だった。肩章の「大尉」という階級も辻褄があう。増間氏が洲ノ崎航空隊の写真分隊にいたことを考えれば、嵯峨氏は写真の撮影術を特年兵に教えていた先生だったのかもしれない。

 牧之原市役所に尋ねたものの、この航空写真を入手した経緯はわからなかった。とすれば、残されたヒントはこの写真のキャプションに記されていた「空写会」という団体である。戦友会のひとつであれば、過去に新聞で取り上げられた可能性がある。国会図書館で新聞データを調べると、2006年10月14日付けの中日新聞の滋賀総合版に、空写会に関する記事を発見した。

「第2次世界大戦中、元海軍航空隊で写真撮影の任務についていた人たちが集う『空写会』の第二十九回大会が十二日、大津市雄琴の旅館『びわこ緑水亭』であった。(中略)終戦から三十年以上たった一九七八年、『記録に残したい』と当時、兵庫県の淡路島に住んでいた元海軍大尉嵯峨武(故人)が中心となってメンバーを探し、約百五十名で結成した」

 増間氏の奥様から教えてもらった嵯峨氏の親族の住所も淡路島がある兵庫県洲本市である。海軍帽子の持ち主は嵯峨氏の可能性がより一層高まった。