大日本帝国の最後は近づいていた。ほとんどすべての日本国民はラジオの前に集り、そのときのきたるのを待ちつづけた。真ッ赤な太陽は真上にあった。人々は仕事をやめ、日本中のそこかしこで数人ずつがひとかたまりに、黙ってならんで立ち、そしてあたりが急に静かになった。そしてしみじみと静けさを味わっていた。すべての日本人にとってそれが生きぬいてきた戦争の最後の日であった。
11時55分、東部防衛司令部、横須賀鎮守府司令部の戦況発表をラジオは告げた。
「1、敵艦上機は三波にわかれ、2時間にわたり、主として飛行場、一部交通機関に対し攻撃を加えたり。2、11時までに判明せる戦果、撃墜9機、撃破2機なり」
宮中、防空壕内の枢密院会議を一時中断し、首相と顧問官たちは細い回廊に一列にならんだ。天皇は、会議室のとなり控室の御座所にあって、小型ラジオを前にした。みずからの重大放送を聴こうというのである。
ラジオは最後の情報を流した。
「……目下、千葉、茨城の上空に敵機を認めず」
11時59分をまわっていた。つづいて正午の時報がコツ、コツと刻みはじめた。
正午の時報、つづいて和田放送員の緊張した第一声が日本中の沈黙を破った。
「ただいまより重大なる放送があります。全国の聴取者のみなさまご起立願います」
日本人は立った。なかには立たないものもいた。朝日新聞柴田記者は、椅子を2つならべた簡易ベッドの上で、どろのように眠っていた。正午には起きるつもりであったが、疲労困憊は彼を目覚めさせないであろう。
「玉音をお送り申します」…「君が代」のレコードが流れた
第8スタジオではしずしずと下村総裁が進みでて、マイクに最敬礼した。誰もそれがおかしいと思わなかった。いっしょに最敬礼をしたものも何人かあった。
「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くもおんみずから大詔を宣らせ給うことになりました。これより謹みて玉音をお送り申します」
つづいて「君が代」のレコードが流れた。那須兵務局長や荒尾軍事課長たちは陸軍省の、田中軍司令官や高嶋参謀長は東部軍司令部の、それぞれの席のそばに立って聞いていた。彼らは偉大な葬儀に列していた。