昭和史研究の第一人者として、多くの著作を残した半藤一利さん。『日本のいちばん長い日』(文藝春秋)は綿密な取材を基に、終戦の日を活写したノンフィクションだ。
1945年8月13日、降伏か本土決戦かをめぐり最高戦争指導会議は紛糾。その裏で、降伏を認めない陸軍将校らは、クーデター計画を水面下で進めていたーー。ここでは本書より、一部を紹介する。(全3回の1回目。続きを読む)
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降伏か、一戦か――8月13日、最高戦争指導会議は紛糾した
13日の朝が明けた。早くも警戒警報のサイレンが東京の空をかき乱した。
そのなかで、この朝の阿南陸相はなお、虎のように屈しなかった。天皇に謁見を願い、広島にある第二総軍司令官の畑俊六(はたしゅんろく)元帥の招致の上奏を行なったさい、天皇その人に天皇の地位存続にたいする心配を訴えたのである。
だが、天皇ははっきりといった。
「阿南よ、もうよい」
なぜか天皇は、侍従武官時代から阿南をアナンと呼ぶのを常としていた。
「心配してくれるのは嬉しいが、もう心配しなくともよい。私には確証がある」
陸相の闘志はやや萎えた。この上なお反対論をとなえることは、天皇に反逆することになるのではないか。国体護持を考えるからこそ、そして天皇の地位を憂慮するからこそ、迷い悩んできたのではなかったか。しかし、天皇がそのことに確証があるという……。
こうした明快な天皇の決意をよそに、午前9時よりひらかれた最高戦争指導会議は、再三再四にわたって紛糾した。このまま回答をのんで降伏し和平するか、かなわぬまでも死中に活を求めて一戦し条件を少しでも有利にして和するか。あらためて外交ルートをへた正式の回答を前に、6人の男たちは最後の闘志を燃やして論じ合った。
陸相、参謀総長、軍令部総長の3人は、回答にたいし再照会し、神聖な天皇の地位は交渉の対象になるようなものではなく、確実に保証されねばならない、そのために武装解除は自主的であるべきだ、と論じた。
外相は再照会は交渉の決裂を意味する、と突っぱね、「陛下が皇位におとどまりになれることが保証されている、というよい面をもっと考慮すべきである」といった。
海相はいら立たしげに珍しく大声をだして論じた。
「もう決定ずみではないか。それをいまさらむし返すのは、陛下のご意志に逆らうことになる」
梅津参謀総長がきっとなった。
「われわれは陛下のご意志に反対しているのではない。はっきりさせねばならぬことについて議論しているのである」
長い時間、じっと黙って議論に耳を傾けていた鈴木首相が、このとき坐り直すようにして、口をさしはさんだ。