閣議の席に乱入しようという「クーデター計画」
報告に列したのは、軍事課長荒尾興功(あらおおきかつ)大佐、同課員稲葉正夫(いなばまさお) 中佐、同課員井田正孝(いだまさたか)中佐、軍務課員竹下正彦中佐、同椎崎二(しいざきじろう)中佐、同畑中健二少佐の6名である。
彼らはいずれも阿南陸相の信頼していた人びとであった。そのなかでもっとも血気にはやった青年将校は、畑中、椎崎の両名で、荒尾大佐は、この一派の長として陸相との連絡に任じ、計画の実施には「四将軍の一致を要す」という条件をつけて、ひそかに暴発を警戒したのである。
荒尾課長を先頭に彼らは必死に訴え、説明した。具体的には明14日午前10時に予定されている閣議の席に乱入し、主要な和平派を監禁、天皇に聖慮の変更を迫ろうというのである。たとえ逆賊の汚名を着ようとも、それを覚悟で、こうした行動にでる。なぜなら、万世一系の天皇を戴く君主制こそ日本の国体であり、それを護らねばならぬからである。かれらにあっては、その天皇の一人にすぎぬ裕仁天皇より、国体が優先するのである。
彼らは、14日午前中に決行したいと訴えて容易に退かず、論議は2時間におよんでもつきなかった。阿南陸相は天皇の意志に反してはならぬ、と信頼する部下に我慢のかぎり論議をくり返した。そして最後に、午前零時陸軍省において、荒尾大佐に決心を内示するといい、それを承知した青年将校たちは三々五々邸外の闇のなかへ消えていった。
真夜中の12時、阿南陸相は市ケ谷台の陸軍省に登庁した。待ちうける荒尾大佐に、確答は14日早朝、梅津参謀総長と会談し、その席で行なうことを了解させた。しかし、このとき陸相は信頼する荒尾大佐に、
「クーデターに訴えては、国民の協力はえられない。本土決戦など至難のこととなろう」
と、その真情をぽつんともらした。
文藝春秋