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「軍部はどうも、回答の言語解釈を際限なく議論することで、政府のせっかくの和平への努力をひっくり返そうとしているように、私には思えます。なぜ回答を、外務省の専門家の考えているように解釈できないのですか」

 外相が愁眉をひらき、陸相がすっかり気落ちしたことは、誰の眼にも明らかであった。

 会議は、途中昼食休憩をはさんで、実に3対3のまま5時間におよんだ。行きづまりが打開されるきざしはまったくなく、鈴木首相はついに会議の散会を宣した。

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 陸軍省にもどった阿南陸相は、顔をかがやかす少壮幕僚たちに迎えられることになった。彼らはやっと一つの成案をえていた。その計画の要旨を説明するため、彼らはまず陸軍次官若松只(わかまつただかず)中将をおとずれた。若松次官は黙ってきいていたが、不同意のようであった。

 ついで陸軍大臣室をたずねたが、阿南陸相はまたしても呼ばれて閣議にでようとするところであった。すでに帯刀している陸相にたいし、しばらくの猶予を請い、計画の必要性をといた。大臣室には、若松次官のほか、人事局長額田坦(ぬかだひろし)中将、戦備課長佐藤裕雄(さとうひろお)大佐が同席していた。

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 気負いたつようにしてのべる少壮幕僚に、佐藤課長はさえぎるようにしていった。

「現状において、このような計画を実行することには不同意である」

 このとき入室していた少壮幕僚の一人、軍務課員畑中健二(はたなかけんじ)少佐は真ッ青な顔をして戦備課長を指していった。

「軍内には裏切り者がいる」

「軍内にすでに裏切り者がいる。かかるものにはただちに人事的処理を加えられたい」

 室内は異常に緊張した。阿南陸相はこのとき静かに、

「いまのような時期には、おたがいが信頼しあってゆくことがいちばん大切なのである」

 とたしなめて席をたとうとした。少壮幕僚の代表は、

「省部内将校は右するも左するも、一に大臣を中心にして、一糸乱れず行動する決意であります。その点は重々御安堵下さい」

 と申しのべた。一同の顔は、大事にむかう一種の感激に紅潮していた。

 午後3時、閣議がひらかれた。朝から延々たる会議につぐ会議。老首相はまったく疲労の色をみせぬ。予想されたように甲論乙駁(こうろんおつばく)ははてしなくつづいた。