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侍従たちがみた、放送を聴いた天皇の“表情”

 阿南陸相自刃、森師団長殉職により、全陸軍は喪に服したように、徹底抗戦の夢をすてた。将兵の心のうちにのこっていたあきらめきれないなにものかが断ちきられた。その死は無言の教示を垂れた。陸相の感じた「大罪」は、全陸軍のものであった。そして、椎崎、畑中、古賀ら青年将校の死が、一時の狷介な精神から発した暴挙、あるいは行動を反省する機会を、多くの将兵にあたえた。国体護持を完全ならしめるために本土決戦をとなえた全陸軍軍人は、その国体護持を完全ならしめるために、生きのびて国家再建に邁進すべきであろうと説く一連の運動が、そこに生れてきていた。

 市ケ谷台上には、なお白日のもと機密書類を焼く煙が高く立昇っている。それは彼らの過去を葬っているにひとしかった。すべてが消えて空しくなっていくであろう。しかし、新しい日本国までが死んではならなかった。

©文藝春秋

「君が代」が終ると、天皇の声が聞えてきた。

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「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シニ忠良ナル爾臣民ニ告ク……」

 宮中、防空壕内の枢密顧問官たちは回廊にならんで、放送に耳を傾けていた。17人の男たちは凝然とし、息を小さくした。洟をすすりあげる音、声をだすまいとしてかえって泣声となるもの、詔書がすすむにつれて戦争が終ったのだという実感が、ひしひしと彼らにせまってきた。やがて平沼枢相が長身の身体を二つに折って慟哭しはじめた。

 天皇は、会議室のとなり控室の御座所にあって、椅子に坐ったままご自身のラジオの声に聴き入っていた。うつむいて、身体を固くして……。侍立する侍従たちがはっとするほどにその表情には力がなかった。

日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫)

半藤 一利

文藝春秋

2006年7月7日 発売