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玉音放送の直前に起きた“乱入事件”

 あっという間のできごとであった。スタジオの外の廊下に、その将校は憑かれたように眼を天井の一角にすえて立っていた。この将校の挙動に不審を感じたのは、東部軍参謀(通信主任)鈴木重豊中佐がいちばんはじめである。不安感が強く働いて、そばによると、「いまから陛下の放送がはじまるのであるが、警備をいっそうきびしくするように」と鈴木参謀が、その将校に声をかけた。そのとたんであった、将校は軍刀の柄に手をかけると荒々しく叫んだ。

「終戦の放送をさせてたまるか。奴らをぜんぶ叩ッ斬ってやる」

 そしてスタジオに乱入しようとした。鈴木参謀はとびかかった。彼の両腕を後ろからはがいじめにし、必死になって暴れる将校をおさえつけて、大声で憲兵を呼んだ。将校はなお抵抗をやめようとしなかった。

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「いいか。不穏なことをさらにするようなら、斬りすててもいい」

 わめきながら、その男は連行されていった。それは天皇放送直前の、瞬時にして終ったできごとであった。彼は20人余の部下をひきいていたので、もしそれらがスタジオに乱入していたらと思うと、鈴木中佐は慄然とするものを感じた。

 外部と遮断されているために物音も怒声もとどかず、そうとも知らぬスタジオのなかの、アナウンス・テーブルには放送員和田信賢が蒼白い顔をキッと前にむけて坐っていた。そのむこう、ガラスごしの副調整室には木村報道部員、小島勇、春名静人の両技術部員らが、同じような緊張のもとに、咽喉をからからにからして時のきたるのを待っていた。

昭和天皇 ©文藝春秋

天皇のお声をテストすることは許されるのだろうか

 あと15分にせまったとき、録音再生担当の春名技術部員が、録音盤の1枚目から2枚目へ移すときの、つなぎ目のテストをしていなかったことに気づいた。1枚目の終りが近いとき、2枚目の初めにも針が動いて、2つの盤の音が完全に合致調整されたとき1枚目から2枚目に引きつぐのである。録音再生にこのテストはしておかなければならないことであった。

 しかし、天皇のお声をテストすることは許されるであろうか、不敬罪にならないであろうか、小島、春名らの技術部員は当然のことながら意識した。しかし、それをしておかないことには……。大橋会長、下村総裁らは、和田放送員の前にある小型スピーカーから、とつぜん、天皇のお声が流れたとき思わず顔色を変えた。そして、それがテストとわかったあとでも、ガラスごしに内部の技術部員たちをしばらくにらみつけていた。ともかくもテストは完全であったのである。