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「ポツダム宣言を受諾することを通告せしめたり」

 11時20分、小出侍従の先導で天皇は議場に入った。同30分、戸外の熱気と対照的にひんやりとする空気のなかで、会議がはじめられた。平沼議長が立って、うやうやしく一礼し、天皇にかわってお沙汰書を朗読した。

「朕は政府をして米英支ソのポツダム宣言を受諾することを通告せしめたり。これはあらかじめ枢密院に諮詢すべき事項なるも、急を要するをもって、枢密院議長をして議に参ぜしむるにとどめたり。これを了承せよ」

 平沼議長は読みおわってゆっくりと紙を巻いて、高くいただくようにした。各顧問官たちもそれにあわせて礼をし、そして彼らは椅子の音をさせて腰をかけた。たちまちに静けさがもどってきた。しわぶき一つなかった。それはちょうど池に投げられた石が水に没し、波紋が広がっていって、やがて消えたあとに静寂がもどったようであった。

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「鈴木内閣総理大臣」と議長が指名した。フロック・コートの鈴木首相は深く息をして、背をすこし伸ばすようにして立上った。彼の役割はこれですべて終りになるはずであった……彼は口をひらいて「戦争終結の処置につきましては」と荘重な口調でいった。口調とまったく裏腹に、あい変らず首相は茫洋としていた。「処置」は人の力ではなく、時の流れによってつけられた、そういいたそうであった。

 椎崎中佐、畑中少佐の身の処置は彼ら自身がつけようとしていた。井田中佐がいった「真夏の夜の夢」は夜明けとともに終ったのである。日本の黎明は彼らを必要としなかった。オートバイに乗り、馬にまたがり、自分たちの意志を国民に知ってもらおうとしたあがきにも似た願いも、最後のビラの一枚を風に飛ばしたと同時に、大空に空しく消えた。

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 彼らの手にのこるものはなにもなかった。自分たちの最後の態度をきめるときとなった。国家をふたたび戦争にむけようとする執拗な考えを棄てねばならなかった。祖国を、美しき君臣一如の日本精神を、屈辱から救おうと決心し、宮城に籠り、それからのち、軍の先頭に立って、最後の一兵までの戦いを戦うつもりであったが、それは新しい日本にうけいれられなかったのである。

『国体護持ノタメ本十五日早暁ヲ期シテ蹶起セル吾等将兵ハ、全軍将兵並ヒニ国民各位ニ告ク。吾等ハ敵ノ謀略ニ対シ、天皇陛下ヲ奉シ国体ヲ護持セントス。成敗利鈍ハ吾等ノ関スルトコロニアラス。唯々純忠ノ大義ニ生キンノミ。皇軍全将兵並ヒニ国民各位願ハクハ吾等蹶起ノ本義ヲ銘心セラレ、君側ノ奸ヲ除キ謀略ヲ破摧シ、最後ノ一人マテ国体ヲ守護センコトヲ』(原文のまま)

 それはみずから書いた自分たちの墓碑銘でもあったろうか。