〈いつも甘えてばかりでごめんね〉
〈色々な人が離れたり、興味本位で近付いてくる中で、Aはいつも変わらずに、フラットに接し、大事にしてくれました。(略)この間も話したけど、Aがいなかったら、絶対ここまで辿りつけなかったと思う。いつも甘えてばかりでごめんね〉
手紙の後半は、自身の離婚について綴っていた。
〈これから私の離婚が発表になったりまた少し、騒がしくなるのかな…と心配だけど、しっかり前を向いて進もうと思います。7月が色々な意味で大変で体力を気力を削られることばかりだと思うけど、お互い頑張ろうね!!(略)また会える日を楽しみにしています〉
文面からして、福原が手紙をしたためたのは、離婚発表の直前、昨年6月頃と見られる。最後はこんな言葉で締め括られていた。
〈Aの笑った顔が大好きな愛より〉
時を同じくして、B子さんは自宅から別の“不審物”を発見する。沖縄県からマンゴーを宅急便で送った際の送り状だ。届け先は東京都内のマンションの住所と部屋番号、宛名は「〇〇様」。B子さんは筆跡から夫の文字と確信し、疑念を深めていく。
前出の友人が言う。
「彼女が送り状に記載された携帯番号に連絡してみたところ、電話口に出たのは福原さんでした。〇〇は彼女の偽名だったのです。A君の妻を名乗った上で『なぜ夫はあなたの新居の住所を知っているんですか。まだ連絡を取り合っているんですか』と聞くと、福原は『誤ってLINEで位置情報を送ったことがあるかも』と答えたそうです。『でも位置情報で部屋番号はわからないですよね』と問うと、要領を得ないことを繰り返していたといいます」
福原は「ちょっと私って…」
B子さんはこの時、福原に“ラブレター”についてもこう確認している。
B子さん「うちの夫とはどのような関係ですか?」
福原「仕事の関係で相談をしていただけですから」
B子さん「手紙に〈Aの笑った顔が大好きな愛より〉って書いてありました」
福原「ちょっと私って友達と距離が近くて。大好きと書いたかもしれない」
そう弁解するのだった。これを機に、B子さんとAさんは別居したという。
心が折れたB子さん。夫婦の離婚が成立したのは、それから約3カ月後の昨年11月初旬のことだった。程なくしてAさんは福原の“3億円豪邸”で同棲生活を始めるとともに、有給休暇を消化後、昨年末、大手商社を退社している。
かたや福原は、昨年11月に青森大の客員准教授に就任。12月にはTリーグ男子「琉球アスティーダ」の運営会社の社外取締役にも就くなど、公的な活動を再開していた。
福原は小誌に“仕込み写真”を提案
そうした中――。
冒頭のように、ポストセブンが昨年12月22日、福原とAさんの交際を写真付きで報じたのだ。
実は、この記事には“前段”がある。報道の2日前、12月20日夜、小誌は福原とAさんが同棲している事実を掴み、福原とAさんに直撃していたのだ。この際、福原からは「掲載を延期して撮り直してもらうことはできないか」などと“仕込み写真”を提案されたものの、拒否。12月23日発売号で〈福原愛“不倫男”と3億円新居で同棲していた〉と報じている。
ところが、その前日の22日朝7時、ポストセブンに多数の2ショット写真と、真剣交際という“美談”が掲載されたのだった。
記事を読んだB子さんは、“ある行動”に出る。福原の携帯に電話し、
「ポストセブンの記事は間違っている」
と訴えたのだ。