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自分ではおかしいのはわかっていたし、どうにかしてほしいと思っていた

河野 母から「これは摂食障害だよ」と言われて、私は「いろいろ調べたけど、摂食障害の症状ってもっと深刻らしいよ」とか「もっと痩せてないと摂食障害って言えないよ」とかグダグダ返して向き合おうとしないっていうのを、2週間ぐらい繰り返していました。

 大学病院で診てもらうにしても、どこかで紹介状をもらわないといけないじゃないですか。母は内科の先生に前もって摂食障害のことを伝えていて。「まず内科で血液検査をして、その結果を聞いてから考えよう」的なことを言ってくれて。

 でも、自分でもおかしいのはわかっていたし、どうにかしてほしいと思っていたので、内科で摂食障害の疑いありと伝えられたときには「やっと、診てもらえる」とホッとしましたね。

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――精神科の初診では、なんと言われましたか。

河野 「あと3️キロぐらい体重が減ったら、すぐ入院でしたよ」と言われて。自分としては、すごく痩せていた頃に比べたら太っていたし、そんなに深刻ではないだろうと考えていたんですけどね。「そんなに危険な状態だったんだな」って。

家族とのニューヨーク旅行で(写真は本人提供)

体重が増えていけば先生が褒めてくれる

――摂食障害の治療って具体的に何をするのでしょうか。

河野 私は「とにかく太りなさい」と先生に言われていました。たとえ太る手段が過食嘔吐だろうと、体重が増えていけば先生が褒めてくれるので、褒められるためだけに病院に行くような感じになっていましたね。先生は「過食しなさい」ではなく「まだ足りないかな、もうちょっとかな」と言ってくれて、食べたことを話すと「それでいいんだよ」って。でも、私としては「なんだって過食嘔吐しながら褒められているんだろう」とモヤモヤしていました。

 おそらく母は、私が治療としての過食嘔吐を認められたことで、もっとモヤモヤしていたかと思います。母からしてみれば、相変わらず食べて吐いている娘の姿から治す覚悟を感じられないし、病院が過食嘔吐のお墨付きを与えてしまっているし、みたいな。

――なにか日記みたいなものを書くように言われたりは。

河野 私はまったくなかったです。

――快方に向かっていることを実感しましたか。

河野 症状が落ち着く感覚はあまりなかったですね。でも、それまでは食べて吐く以外のことは考えられなかったのが、将来についていろいろ考えられるようになりました。若干だけど、脳のスペースが空いてきているのは感じたんです。

 それと病院に行った後に必ず母とお茶に行くようになって。なんとなく始まった習慣ですけど、脳内を整理して話すみたいなことがだんだんとでできるようになりました。