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 キャリー・マリガン演じるキャシーは、昼はコーヒーショップで働き、夜はクラブで泥酔したふりをして男たちを誘い、シラフのままベッドに誘い込まれたところで相手に反撃する。彼女は医学生だった7年前、同級生の男たちにレイプされて、その後自殺した親友ニーナの仇を討つために生きているのだ。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』がユニークなのは、プロットはそのように極めてヘビーでシリアスなものでありながら、ビジュアルはポップで、シーン転換のテンポもよく、語り口はあくまでもブラックコメディ──中盤にはロマンティックコメディ的な展開まである──として仕上がっていることだ。

 冒頭シーンから明確にこれが男性から女性への性暴力についての作品であることが明示されるが、本作には観客を追い詰めるようなショッキングな性暴力シーンはなく、それどころかレイプ(rape)や性的暴行(sexual assault)という言葉すら一切使用されていない。

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 もちろん、性暴力シーンがなく、レイプや性的暴行という言葉も使われていないからといって、脚本と監督を手がけたエメラルド・フェネルが男性中心の社会に対して強い怒りを抱えていないというわけではないし、観客に対して手加減しているというわけでもない。

エメラルド・フェネル ©AFLO

 性暴力シーンがないのは、男性の観客に対していかなる意味においてもポルノ的な消費を許さないという強い意志の表れだろうし、同種の経験をしたことがある女性の観客に対してフラッシュバックを起こさせないための配慮でもあるだろう。そして、直接的な言葉を使っていないのは、その言葉によって観客に「自分とは無関係である」と、作品と自分を切り離させないためでもあるはずだ。

 主人公キャシーの復讐は、性暴力の直接的な加害者たちだけでなく、やがて女性を含むその傍観者たち(≒観客たち)にも向かっていく。『プロミシング・ヤング・ウーマン』において、無関係な者は誰もいない。キャシーに反撃される男性たちに、アメリカのコメディ映画やテレビのコメディシリーズで好感度の高い役を演じてきた役者ばかりがキャスティングされているのもそれが理由だ。

#MeTooの発火点となったハリウッド

『プロミシング・ヤング・ウーマン』のような物議を醸しそうな題材の企画が、ユニバーサル・ピクチャーズ傘下のフォーカス・フィーチャーズで成立した背景には、2017年10月の「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事「ハーヴェイ・ワインスタインは数十年にわたりセクハラ告発者を買収していた」と「ザ・ニューヨーカー」誌の記事「性的暴行の序章:ハーヴェイ・ワインスタインの告発者たちが語る物語」がきっかけとなって、ソーシャルメディア上で広がっていった#MeTooムーブメントがある。

 ここで重要なのは、エンターテインメントの世界や政治の世界だけでなく、スポーツ界や宗教団体や軍隊、さらには企業や学校や家庭などの一般社会にも瞬く間に広く行きわたったこの世界的な社会運動の発火点が、ハリウッドの映画界であったことだ。

 疑惑だけでなく法的にも重罪が確定したハーヴェイ・ワインスタインのような大物プロデューサーを追放するだけではなく、ハリウッドが業界全体としてこの問題をプロダクツ(=作品)でどのように扱っていくのかについても問われていくのは当然の流れだった。