2022年はまだ終わっていないが、ハリウッドでこの年最大の出来事がオスカー授賞式でのウィル・スミスの平手打ち事件と、ジョニー・デップとアンバー・ハードの名誉毀損裁判だったことは断言していいだろう。
衝撃の度合いではスミスの事件のほうが大きかったものの(格式高い授賞式で暴力事件が起きたのだ!)、4月12日から6週間にわたって生中継されたデップの裁判は、この元夫妻の私生活の醜い実情だけでなく、もっと大きな問題を炙り出すことになった。ポスト「#MeToo」時代における、アメリカの主流メディアの報道の仕方である。
「#MeToo」運動以来、強まった“ある風潮“
大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタインの長年に及ぶ多数の女性に対するセクハラや性暴力が暴かれ、「#MeToo」運動が巻き起こって以来、「女性を信じるべき」という風潮が強まった。それ自体は、すばらしいことだ。それまでは、被害を報告しても信じてもらえない、それどころか仕返しを受けるかもと恐れ、多くの女性は声を上げることができなかったのである。しかし、以後は女性を疑うようなことを書いたら世間から批判されると、とりわけ主流なメディアは慎重に振る舞うようになった。
その態度はデップの裁判に関しても貫かれている。数々のしっかりした証拠のもと、陪審員がデップに勝利を与えても、メディアはそれを正面から受け止めなかったのだ。これらの報道の多くが使ったのは、「論議を呼ぶ」という言葉。
「論議を呼ぶ判決」「論議を呼んだ裁判」、いったい何度聞いたことか。あの裁判を実際に全部見ていれば、陪審員が下した判決はもっともであり、どこにも論議の余地はないとわかるはずだ。なのに、「この判決のせいで今後DVに苦しむ女性はどうなるのか」などと問題提起する意見記事を女性の記者やコラムニストに書かせたりして、彼らが勝手に論議を巻き起こしているのである。