あるいは、フェネルにとって役者以外の仕事としては前作にあたる、ショーランナー及び脚本を手がけたテレビシリーズ『キリング・イヴ』シーズン2(2019年)でジョディ・カマーが演じたサイコパスの殺し屋ヴィラネルのキャラクターからの連続性で捉えれば、脚本家及び演出家としてのフェネルの力点が被害者ニーナではなく、ある種の「サイコパス」でも「殺し屋」でもあるキャシーに偏るのは当然だろう。
インタビューでもフェネルは「作家として私がやりたいのは人をぶちのめすことや怖がらせること」と語り、ジャンルでは西部劇や復讐劇に執着があることを語っている。
「復讐にはハッピーエンドはない」
もう一つの批判は、よりストーリーの根幹に関わるものだ。物語的には議論の余地なく「正義」の側にいるキャシーが、後日談としては一定の復讐を果たしているとはいえ、最終的には男に命を奪われてしまうことに対して。
このビターなエンディングについては、ジェンダーポリティックス的な見地からの「この結末では女性へのエンパワーメントにならない」という批判だけではなく、観客のカタルシスを損なうという「ハリウッド映画の掟」的な理由においても、脚本の段階でフェネルは製作サイドからの修正の要望を度々受けてきたという。
実際、フェネルは『プロミシング・ヤング・ウーマン』にもう一つのエンディングを準備していた。それは、キャシーが最終ターゲットであるアルのバチェラーパーティーがおこなわれている家に火をつけて、男たちを皆殺しにするというものだ。フェネルはインタビューで次のように語っている。
「でも、そのあとにキャシーはどうなる? 刑務所に入って無期懲役になる? あの男たちにそれだけの価値はあるのだろうか? 復讐にはハッピーエンドはないということが、復讐劇というジャンルが抱えている問題であり、この作品で私が投げかけたかった問題でもあります。私がやりたかったのは、観客にある種の感情を抱かせてそれについて話してもらうこと、私たちが生きている社会について考察してもらうこと。ハリウッド的な空虚なカタルシスを伴う結末からは、会話が始まることはないのです」
映画はハッシュタグやプラカードではない
#MeTooムーブメント以降、ハリウッドでは多くの女性プロデューサーや女性監督が台頭し、役者やスタッフのギャランティーの男女格差がこれまで以上に問題視されるようになり、キャスティングの段階や撮影現場においてさまざまなハラスメントが起こらないための数々のルールが施されるようになった。もちろんすべてはまだその過程にあって、それまで100年以上にわたってハリウッドで培われてきた強固な男性中心主義が根絶されるのはまだまだ先。あるいは、これからも根強く残り続けるという見方もある。