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連載地方は消滅しない

2018/03/21

台風で傷ついた柿をクッキーにする

 開店で生徒の目の色は変わった。

「緊張します。『美味しい』と言ってくださると嬉しいのですが、薄味を好む方ばかりではありません」と、調理クラブの部長、中井茉佑(まゆ)さん(2年)は話す。

 中井さんは中華料理の道を志している。「中学生の時に祖父が生活習慣病で亡くなりました。食事で人が健康になれるよう医食同源の薬膳料理を究めたいのです」と言う。

 まごの店が素晴らしいのは、障害を持つ客もどんどん受け入れるところだ。目の見えない人がワサビを誤って食べないようにするにはどうしたらいいか。刻んだり、ミキサーにかけたりしなければ食べられない人が、健常者と同じように味や彩りを楽しむにはどんな工夫が必要か。村林さんを中心に研究している。

 私が取材で滞在していた時も、年に一度の交流のために、隣町から特別支援学校が来た。まごの店ではなく、相可高校でもてなしたが、松阪牛のすき焼きをペースト状にしても、普通の肉と変わりない味に調整して、自然な食欲を誘っていた。

 生徒は卒業後、一度は関西方面などへ出る。だが、いずれは地元に戻り、店を開くなどしたいと考えている人が多い。

「皆、地元愛が強いんです。調理で三重県の食材の良さを知るからだと思います。私も牡蠣(かき)が大好きになりました」と中井さんは微笑む。

 新美翔子さん(2年)は「大学に進学し、管理栄養士を目指します。広く世界の料理を知るために、自分で中国語を勉強しています。ただし将来は三重に戻り、レストランを開きたいと考えています」と話す。

 そうした卒業生が帰郷し自分の店を持つまでの受け皿として08年、「せんぱいの店」が設立された。多気町のスーパーなどで惣菜や弁当を販売する店を三つ持っている。

 発足後、経営はなかなか軌道に乗らなかった。一時は給料の支払いに困るほどだった。このため社員とパートを合わせて10人のうち、卒業生は4人しか雇用できていない。雇いたくてもこれ以上は無理なのだ。

村田さんの弁当と伊勢いもとろろ(せんぱいの店)

 だが、この3年ほどは黒字基調になった。その原動力になっている村田大輔さん(28)は、4人の卒業生で最も若い。「リピーターのお客様が増えました。肉じゃがや酢豚を毎日のように買いに来てくれる人もいます。売り上げが伸びているので、やりがいがあります」と話す。

 村田さんは高校卒業後、大阪で2年間修業した。帰郷し、料理店で働いていた時にバイク事故に遭った。ケガが治るまで長期間かかり、店には戻れなかった。そこで「将来、自分の店を持つまでのステップ」として、せんぱいの店で働いている。

 ところで、多気町は17年10月、極めて深刻な台風被害に遭った。

「崖崩れが500カ所ほどありました。町が始まって以来という規模の災害でした」と、町役場の青木和之さん(41)は話す。

 前川次郎柿は同町の特産だ。大きくて、シャキッとした歯ごたえがある。種がないので近年、人気が出始めていた。しかし、台風で傷がつけば売り物にならない。

「出荷できたのは3分の1程度。酷い人は4分の1ぐらいでした」と、農家の1人は肩を落とす。

 青木さんは、村林さんに助けを求めた。傷物の柿を菓子にできないかと考えたのだ。開発を任されたのは、調理クラブの3年生だった白木沙弥さん(18)らだ。

「柿は菓子にするのが難しい果物です。水分が多くて加工が大変です。味も特徴が乏しく、柿らしさがなかなか出ないのです。パウンドケーキなど何種類も試作品を作りましたが、最終的に日持ちのするクッキーにしました。柿をたくさん食べてもらうにはジャムにしたらいいと思いつき、2枚のクッキーの間に挟みました。完成まで2カ月もかかりました」と、白木さんは振り返る。

 町は「柿ジャムサンドクッキー」をふるさと納税の返礼品に添えて送った。反響は大きかった。「傷物をいかそうとする高校生の地元愛に感動した」「生徒の優しさが伝わってきた」などと書かれた手紙やメールが多数、役場に寄せられたのだ。

 柿農家も「高校生が頑張ってくれたから、高齢化した私達もやる気が出た」と話す。

 青木さんはこれを機に、町の顔になるような柿の菓子を、生徒に開発してもらえないかと考えている。

 白木さんは今春、千葉県の有名ホテルの製菓部門に就職する。だが、柿への挑戦はまだ続きそうだ。

「私は将来、地元に帰って菓子店を開こうと考えています。その時には絶対、柿のお菓子を作ります!」

「ありがとう。待ってるよ」。その話を聞いた青木さんは、嬉しくて嬉しくてたまらない様子だった。

「せんぱいブランド」が町を元気にする日が待ち遠しい。

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