子ども時代のトラウマ(心の傷)となりうる経験のことを指す「ACE(エース:Adverse Childhood Experiencesの頭字語)」という用語があります。たとえば、虐待やネグレクト、家族の精神疾患や依存症、近親者間暴力などに曝される体験のことなどです。
1990年代からアメリカで始まった研究によれば、経験したACEの種類が多い人ほど、後年、心臓病や糖尿病、薬物乱用、自殺念慮、失業や貧困などに苦しむ可能性が高くなるということでした。
ここでは、龍谷大学社会学部准教授の三谷はるよさんが、そんなACEの実態に迫った『ACEサバイバー ――子ども期の逆境に苦しむ人々』(ちくま新書)より一部を抜粋。最終的には寿命まで早めるというACEの影響について紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)
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一人の医師のある「気づき」
ACE研究は、ある一人の医師の、臨床現場での「気づき」が出発点となりました。その医師とは、アメリカ・サンディエゴ(カリフォルニア州)に住む、ヴィンセント・J・フェリッティです。彼は、カイザー・パーマネンテというアメリカ最大の健康保険会社(医療機関も所有)の予防医学部門の主任でした。
1980年代初頭、フェリッティは自身の肥満専門クリニックで、カイザー・パーマネンテの肥満解消プログラムを進めていました。その参加者である若い女性が、120kgを超える減量に成功した一方で、短期間のうちに大幅なリバウンドを経験しました。
彼女いわく、職場の年配男性からの性的なアプローチが引き金となり、睡眠中の過食(睡眠関連食行動障害)が再発したというのです。フェリッティがさらに追究すると、10歳の時に祖父から性的虐待を受け、その頃から太り始めたことを打ち明けました。彼にとって、これは思いがけないことでした。
これをきっかけとしてフェリッティは、子ども期の性的虐待と肥満の関係を探るため、来院する患者286人に対して一人ずつ面談を行いました。その結果、驚くべきことに、55%の患者が子どもの頃に性的虐待を受けていたこと、その多数が他の虐待や家庭の深刻な機能不全も経験していたことが明らかとなったのです。