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 母親は、B子さんにはその地域で有名な私立女子中学に入ることを求めました。B子さんは、300人くらいが受けた入塾テストで1番を取るくらい優秀でしたが、その後成績が少しでも下がると母親の顔は曇りました。いついかなる状況でも、1番でいることを要求されたのです。

 父親は、基本的に娘たちには関心がなく、時々奇妙な言動が見られました。躁状態になって散財したり、B子さんを夜中に起こして、訳のわからない話を延々と聞かせたりしました。B子さんは、当時の父親は「双極性障害だったと思う」と振り返ります。

 放課後には友だちと遊ぶことなく、電車で塾に通い、夕食は喫茶店かファストフードで済ますという日々でした。その努力は実り、名門の私立女子中学に合格しました。それでも母親は「受かって当たり前」の様子でした。

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 中学生になってから、母親と一緒にいると違和感を抱くようになってきました。給食のない学校でしたが、母親はお弁当を作ってくれず、遠足の時ですらB子さんが自分で作りました。しかし、必要なお金をもらえたB子さんはまだましで、この頃高校生だった姉は、1日100円しか渡されず、やせ細っていました。

 B子さんは中学生の頃から、母親の気に染まないことをすると「契約違反」と言って責められました。そうした状況について、ただ話を聞いてくれる大人に会いたくなり、市民相談窓口に行ったこともありました。相談員の年配の女性から「何もしてあげられないわ……」と言われましたが、最初から諦めていたので何も感じることはありませんでした。

両親のストレスのはけ口に

 学費の高い私学の女子校だったので、会社の社長の娘や病院の院長の娘が大半で、気楽になじめる子は少なかったといいます。その中で、「なんとなく、自分は異物だという気分」でした。中学校での記憶はほとんどない一方、塾では充実しており、試験勉強は熱中できるものでした。この頃には医学部進学を希望しており、高校はエスカレーター式で大学まで行けるお嬢さん学校ではなく、別の進学校を目指しました。

 B子さんは国立の進学校に、2番の席次で入学しました。この頃から、父親には「お前には投資してるんやからな。たっぷり利子つけて返せや」とよく言われるようになったといいます。母親は父親を一方的に嫌うようになり、夫婦関係が悪くなっていきます。そのストレスのはけ口が、B子さんにも向かいます。