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「私がこんなに不幸なのに、あんただけ幸せになるなんて絶対許さない。どんな手を使ってでも阻止してやる」「結婚なんか絶対しないで、仕送りしろ」と時々言うようになりました。B子さんは、初めて聞いた時は驚愕するも、次第にそんな母親を「可哀相だな」と思うようになりました。

 母親は、実の両親とも愛人がおり、その後実母から捨てられ、継母から虐待を受けて育ちました。父親は9人きょうだいのネグレクト家庭で育ちました。両親とも「愛することも、愛されることもわからない生い立ちだった」とB子さんは言います。B子さんが思い出すに、両親は贅沢品にお金をよく使っていました。両親とも、お金はあればあるだけいいという感覚で、自分たちの満たされない心をお金で埋めようとしているかのようでした。

超難関の医学部に現役合格し「これでいつでも死ねる」と思った

 高校生のB子さんは家に帰るのがたまらなく嫌で、よくファストフード店で時間を過ごしてから帰ったといいます。「居場所がない」という言葉が頭の中に常駐していました。

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 高校3年生の時には、拒食と過食の症状も見られました。

 下宿はお金がかかるので許さないと言われ、実家から通える距離の国立大学医学部を受験しました。出来は悪く、「落ちた」と自身では思っていました。

 しかしB子さんは、その超難関の医学部に、現役で見事に合格しました。その合格掲示板を見た瞬間に、「これでいつでも死ねる」と思ったそうです。

 大学は当時、出席すら取らない甘さだったので、B子さんは高3の秋から交際を始めた高校の同級生とよく遊びました。両親は、この彼と付き合うことに反対で、「契約違反だから裁判にしてやる。絶対こっちが勝つ」と言って、B子さんをたびたび脅しました。

 この恋人と別れた後、B子さんは医学部の同級生にデートレイプされます。慰めてほしいという気持ちでそのことを母親に打ち明けると、「その子と結婚しなさいよ。医者になるんでしょ、すごくいいじゃない! ねえ、どう?」と満面の笑顔で目を輝かせたといいます。もちろん、自分たちへの送金を期待しての発言でした。

 その後、B子さんは短いスパンで交際する男性が替わります。彼氏の交際相手の彼女から嫌がらせを受けるなど、男女トラブルも経験します。大学4年の時に交際を始めた芸術家の恋人には首を絞められ、彼自身がその後、自殺未遂を図って精神科に入院します。B子さんは、彼に黙って中絶を行い、その後、「いろんなことがしっくりいかず」、自殺を心に決めます。